非行の原因を探ることは意味があるのか
非行の原因を探ることに意味はありません。それは、成果の割に活用できないものだからです。
たとえば10歳の子どもに非行の兆しが見られたとして、その子どもには10年分の経験の蓄積があるのです。10年分、好きなことも嫌いなこともあっただろうし、泣いたり笑ったりして来たわけです。
全ての経験が複雑に絡まって10歳の子どもをなしているわけです。10歳の非行の兆しを見せた子どもにとって、全ての経験が非行の原因とも言えるのです。「どれが特定の原因か」を考えても、わかるものではありません。全てが関係しているとも言えるし、どれも関係ないとも言えます。
確かに「原因を探ることで今後に活かせる」のかもしれません。非行の原因は何かと求める人は、「以前こういうことがあったから同じ轍は踏まない」とか、「これ以上悪化しないように」という意味で求めるのかもしれません。
ですが原因を探し当てたところで、今後にそれを活かせるとは限らないのです。時間と労力を使って「非行の原因はこれなのではないか」と探し当てたところで、今後の子どもにそれを適用できるかと言えば、そうではないのです。
それは、今後何が起こるのかなんて誰にもわからないからです。「これが非行の原因だったのではないか」というくらいの、低い確率のものを今後に活用できるくらい、未来は狭いものではないのだと思います。
「何が非行の原因だったのか」を探ることは、得られる成果の割にあまり活用できないものなのです。
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