優しさとは、カーナビをノースアップで見ることである

2019.12.07 (土)

日頃、どんな視点でカーナビを見ているだろうか。

 

 

我々の生活にカーナビは欠かせない。車を運転する機会というのは、特に男性ならば当たり前にあるのではないだろうか。距離的にも時間的にも経済的にも、公共交通機関を利用するよりも車の方が都合がいいことがよくある。公共交通機関では埋めることができないスペースがまだまだ社会にはあり、それを埋めているのが車なのだ。

 

 

で、そんな車を運転するときに無くてはならないのがカーナビだ。十数年前まではカーナビなんて無いのが当たり前だった気がするが、もはや手の中のスマホにさえナビが付いている時代だ。車を運転するときにこれほど便利な機能はない。

 

 

このカーナビであるが、見方が二種類ある。視点を大きく分けで、2つから選ぶことができるのだ。一つはヘディングアップと言われるもの。これは進行方向が常に上を向いている視点のことである。もう一つはノースアップと言われるもの。これは、北の方向が常に上を向いている視点のことである。

 

 

このカーナビの視点の違いは、主観か客観か、という違いでもある。どちらが良いとか悪いとか、そんな話ではない。どちらも大事なのだ。ただ、「優しさ」という面で見た場合、良し悪しの違いが出てくるかな、と思うのだ。

 

 

ヘディングアップは主観的だ。フロントガラスの目の前に広がる世界を、うまく平面のディスプレーに再現してくれている。運転している人間から見て右側が、ディスプレーの中でも右側だし。運転している人間から見て、左側が、ディスプレーの中でも左側である。直感的でリアルなのだ。現実の世界とカーナビの中の世界が、タイムラグ無く繋がっている。

 

 

それに対してノースアップは客観的だ。フロントガラスの目の前に広がる世界と、平面のディスプレーの中に広がる世界では、隔たりがある。いま、ここで運転している自分。それとは別の人間が見た世界が、ディスプレーには表示されているのだ。運転している人間から見て右側が、ディスプレーの中でも右だとは限らない。運転している人間から見て左側が、ディスプレーの中でも左だとは限らない。ドライバーが置かれている状況、「いま、ここ」をディスプレーの中で見るには、タイムラグが出てくるだろう。変換しなければならないからだ。自分の視点を一度離れて、頭の中の空間を「こうかな? こうかな?」と転回させて、一致するポイントを探さなければならないからだ。

 

 

一見、このノースアップは、デメリットばかりに見えるかもしれない。だってそうだろう。わざわざ頭の中で転回させなければならないのだ。ヘディングアップにすれば転回させる必要ものないのに、どうして面倒くさい作業が入るノースアップを選ばなければならないのか。どうしてタイムラグが生じる視点を選ばなければならないのか。

 

 

だが、このノースアップを選ぶことに違和感を感じるのならば、そんな人は、普段から自己中なのかもしれない。運転中に限らず、普段から常に自分中心で世界や物事を見ているのかもしれない。だから、運転する段階になっても客観的な視点に対して違和感を感じるのではないか。

 

 

優しさには客観的な視点が必要である。自分中心で世界を見ようとせず、自分とは別の、一歩上に上って全体を見下ろすような視点である。自分中心の視点ばかりでは、相手の視点を想像できない。優しさの反対とは自己中であり、自己中とは、相手の身になって考えることができないことなのだ。

 

 

たしかに自分中心の視点は楽だ。面倒がない。注目すべきは自分の視点なので、直感的で、誰でもできる。だが、優しさという面で見た場合、決して自分中心の視点のままでは理解できないものがあるのだ。

 

 

自分から見て右側が、相手から見ても常に右側だとは限らない。自分から見て左側が、相手から見ても常に左側だとは限らない。ヘディングアップのデメリットは、偏見に囚われてしまうことだ。バイアスが強すぎるのだ。それに対してノースアップのメリットは、頭の中を相手と共有できることだ。ノースアップだと右や左の代わりに方角を意識することになるが、方角は誰にとっても一緒だ。自分にとっての北と相手にとっての北は常に一緒だし、自分にとっての南と相手にとっての南は常に一緒である。

 

 

この自分に囚われないことが、優しさには必要なのだ。囚われた自分にしてしまうのはバイアスだ。偏見であり、先入観であり、色眼鏡である。この囚われが少ないのが、自分とは別の、一歩上からの視点だ。カーナビで言うノースアップなのだ。

 

 

犯罪者も非行少年も、自分に囚われている。知らずしらずのうちに、自分の色眼鏡で世の中を見て、そんな偏見に基づいて判断してしまっているのだ。犯罪や非行に走らなくても、もっといい方法があるのに、周りが見えていない。視野が狭くなっている自分に気づいていない。自分だけの世界しか見えておらず、自分視点しか頭になく、相手の価値観を想像できていないのだ。相手の身になって考えることができていないのだ。

 

 

自分以外の視点、自分以外の価値観を想像するには、「いま、ここ」にいる自分とは別の、一歩上からの視点が必要になる。それは、カーナビでいう、ノースヘッドの視点なのだ。

 

 

 


 

 

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