子どもの非行に関することでどうしたらいいか、という悩み
最近悩んでいるんですが、線引きってどこですればいいんでしょう。例えば、私はルールをそんなに遵守しなくてもいいと思っています。遅刻だって、そんなに悪いことだとは思っていません。もちろん、遅刻なんてしない様に心がけていますが、同僚が遅刻をしたからといって腹立たしいとは思いません。
確かに遅刻したのにヘラヘラしていたら「なんだよ」とも思うでしょうが、そんな人間も周りにはいないんで怒らないで済みます。私はルールを守ることに囚われていることが、視野が狭い様に感じるんです。ただ単に何も考えず、「ルールを守れ」って言っているのは、「常識だろ」って言っているのと同じだと思うんですよ。
「常識だろ」なんて、自己中の塊の様な言葉だと思うんですよね。それぞれ価値観は別々なのに、その価値観を人に押し付けるなんて、なんて前時代的な狭い視野の人間なんだろうって思います。
そういう前時代的な人って、良くも悪くも人を分かろうとしますよね。自分と相手とで、考えの方向を一つにするみたいな風潮があると思うんです。でもそれって不可能ですよね。そもそも多様性が叫ばれていて、みんながフラットになろうとしている時代に、それぞれ個の時代に、「考えを一つにしなければならない」なんて。
前時代的おな人に限って、なんの考えもなしに、何も考えずに「常識だろ」とか「それがルールだろ」なんて言ってくる。さらには「何でお前は人と違う事をするんだ」とか。人と違うことが価値あることってわからないんだろうか。
わざと人と違う事をしようとしてるって事。わざと人と違う道を進もうとしている事。わざと人と違う人間になろうとしている事に気付かないんだろうか。そういう人ってフラット化に向かっている世界をどんな風に見ているんだろう。どこから情報を取っているんだろう。それとも情報を取っていないのだろうか。おそらくフラット化なんて言葉が届いていても、頭には入らない感じなんだろう。
多分、情報を何も入れなかったら、人間って具体的な方向に流れる生き物なんでしょう。ゴージャスなもの、高級なもの、きらびやかなもの。そんなものに引かれるのが、人間の素なんでしょう。人よりも大きいものが欲しい。人よりもお金持ちになりたい。人よりもたくさん持ちたい。人よりも高級なものが欲しい。人よりも立派なものが欲しい。人よりもゴージャスでありたい。人よりも豪華な生活をしたい・・。
そんな流れが、人間の奥底にある素の欲なんだと思います。だけどよく考えてみてください。それってどうでもよくなりません? なんか、虚しくないですか? なんか視野が狭くないですか? そんな具体的なものに目を奪われる人生って、なんか意味がなくないですか?
おそらく、それよりももう一歩、踏み込んで素の状態を探してみると、そんなものに囚われない世界が見えてくると思います。よおく考えて、自分に問いかけて、自分のさらに奥にある素の声を聞いてみてください。
お金なんて、どうでもいいでしょう。ゴージャスな生活なんて、どこか虚しいだけでしょう。学歴がなくたって立派になれるのが望ましい社会だと思いませんか? 車なんて、危険を社会に振りまくだけだと思いません? お金に囚われないのが成熟した人間だと思いません?
学歴重視で、「お金がなければ何もやっていけない」とか思って、ゴージャスできらびやかな生活に憧れて、豪華なものをたくさん買って、そんな具体的なものに囚われているから、その奥にある本当に目を向けるべきところに目が向かないんだと思うんですよね。前時代的なんですよ。誰にでも分かりやすい価値観に囚われている生活って。
で、そうそう。悩んでいるってのは、どこが分かり道かって事なんです。ルールを守ってばかりいるのは、考えていないって事。すぐに常識を持ち出すのは、常識に囚われているから。変化を受けいられないのは、まだまだ前時代的な考えに侵されているから。
だけど極端な話、人殺しってダメじゃないですか。当たり前ですけど。いくらルールを守ってばかりは考えていない、なんて言っても、ドロボーされたらたまんないですよね。
そういえばこれって結局、自由か規律かって問題なんでしょうね。どこまでが自由でどこからが規律か。人間は自由を望んでいる。人間の長い歴史の中で、自由が徐々に広がっているのをみると、人間の歴史イコール自由の獲得の様にも思えます。
だけど人殺しはダメだし、ドロボーもダメだと思うし。
だからこれって、考えているかどうかって事なのかな。人殺しなんて浅いですよね。ドロボーも浅いですよね。基本的に。それっていうのは誰の共感も得れないだろうし、なんの考えもない人殺しっていうのは単純にダメって分かる。
でも深く悩んで考えた末の犯行ならどうか。状況が複雑で、なかなか一筋縄ではいかない様にぐるぐるに絡まった環境の中で、どうにか海面に上がろうと必死でもがいた末の犯行。どうしてもやらなければならない。でもそんなことは許されるわけはない。でもこのままでは自分が壊れる。そんな行ったり来たりを繰り返した末での犯行って、イーブンまで持っていけると思うんです。
だから、やっぱり考えてるかどうかなんでしょう。ということは、「考える」事を育むことが子育てにおいても大事なんでしょうね。考えさせるにはどうしたらいいのか。自覚でしょうね。自分が知らないって事を促すこと。「ドヤ顔なんてやっていられるくらいのもんじゃないよ」っていう気づきを促すことが大事なんでしょう。
そういえば、ドヤ顔の人間って本当に分かっていない。分かっていない事を分かっていない。自分が分かっていないことに気づいていない。勘違いっていうのもそれに入ります。そこをどうにかしたいですよね。
自分が無知だっていう気づきを促すことが、謙虚さにもなるでしょう。謙虚さのある人間っていうのは品がありますし。そんな穏やかで、謙虚な人が増えれば、社会って平和になるでしょうね。がさつで、品がなくて、粗暴的な人間が、私が苦手とする人間なんで。いわゆるチンピラとか。そんな人間にならない様にするには。そんな事を教示できる様になれればいいでしょうね。
やっぱりイグノランスマネジメントは素晴らしい。無知の無知から無知の知への移動、いわゆる自覚を促すことっていうのは応用幅が広い。全ての悩みを解決する引き金になるんだと思います。まさに根底部分です。考えることの発動を促します。
どうしようもないのが無知の無知。これっていうのは、どうしようもない。気づきを周りから促すにはどうしたらいいのか。自信を無くさせるか。「間違っているのは自分かもしれない」って考えるのがやはり一番初めにくる。ここから起動する。おそらくここが原点。
これさえわかれば、気付きさえあれば、あとは本人次第でいくらでもなる。どの方向に向かって問題を解決しようが、あとは本人の自由。そこまでくれば、自由に向かって歩かせることができる。
あれ、結局、悩みってなんだっけ。なんか、見えそうで見えない様な。解決してそうで解決していない様な。「間違っているのは自分かもしれない」っていう問いから始まっているんであれば、それでいいのかな。無知の無知に意識を向けたものであれば、どんなに突飛でも大丈夫かな。
ですね。根底が抽象に意識を向けたものであれば、あとは大丈夫だろうね。
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プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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