なぜ悪いことをしてはいけないのか〜<子ども>のための哲学
「はあ?」
なんて言われて、笑われるかもしれない。
「何こいつ、トチ狂ってんの?」
なんて変に思われたりするかもしれない。
けれど、侮辱されても軽蔑されてもいい。そんなものが眼中に入らなくなるほど、この問いは深くて、そして難しい。
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」
この問いを、まずは二つに分けなければならない。「悪いこと」と「する」ということである。私たちはよく、この二つを混同してはいまいか。単純に、「悪いこと」は「してはいけないこと」であり、「しないことが当たり前」だという前提で物事を話てはいまいか。「悪いこと」は、必ずしも「してはいけないこと」ではないのだ。同時に、「善いこと」も必ず、「すること」なのではない。「善いこと」は無条件にして「すること」としようとしてしまいがちだが、「善いこと」と、それを「すること」は一緒ではないのである。
というのも、悪いことをする人には二種類いて、一つは悪いことを悪いことだという認識がないままに悪いことをする人である。もう一つは、悪いことを悪いことだという認識があってもなお悪いことをする人である。前者に対しては、道徳教育が有効であろう。「〇〇は悪いことで、●●は善いことだ」という善悪の判断。それをすればいかに人が傷つくか、という教えが、悪いことを踏みとどまらせるのに役立つかもしれない。
けれど後者は違う。そこにすでに考慮が入っているからだ。悪いことを悪いことだと認識してなおもそれを行動に移すということは、行動の前に一旦、考慮が入っているということ。それをするべきかどうか、という悩みがすでに入っているのです。そんなすでに考慮が入っている人間に対して道徳教育は効果がないのである。
効果がないことはないかもしれない、けれど、単純に「ああそうか」と分かってもらえるわけではないだろう。すでに天秤に乗っているのである。前者のような考えの人は、片方にこれからの自分の行動が乗せられており、もう片方にまだ何も乗せられていない状態。そこに、「これは悪だ」という指摘を載せれば、どっちが重要かを測ることができる。自分の行動と、それに伴う悪を秤にかけて、それでも行動するべきかを計算することができる。
けれども後者は違う。すでに秤で測っているのだ。これからの自分の行動と、それが悪であるという指摘を天秤で比べており、それでもなおその行動をすることが重要だという判断をしているのである。そんなものに、「それは悪いことだ」という指摘は、もはや不要なのではないか。
たとえばクラスメイトを殴った子どもがいるとしよう。殴ることが悪いことという認識がない場合は、単純に「それが悪だ」と教えることで事足りるかもしれない。けれど、それが悪だという認識の上でクラスメイトを殴った子どもに対しては、いくら「それが悪だ」と教えたところで意味はないのである。道徳はとうに考慮に入れられており、その上で捨てられたのだから。
そして世の中では、圧倒的に認識がある上で悪いことをしている人が多いという事実である。世の中の多くの人間は、悪いことだと知った上で悪いことをするのである。
「悪いこと」とは、「してはいけないこと」ではないのだ。同時に、「善いこと」も「すること」ではない。「善いこと」をするかどうか、「悪いこと」をするかどうかは、「すること」と「しないこと」のどちらを選択したとしても、非難されるべきものではないのである。
「悪いこと」はしてもしなくてもいい、「善いこと」もしてもしなくてもいい。という前提に立っとして、それでもなお「して欲しくないこと」をいないように相手に伝えるにはどうすればいいのか。それは、相手の思考密度を高めることしか、我々にはできないのではないか。
「悪いこと」に関して、するもしないも自由。「善いこと」に関して、するもしないも自由。それでもなお、私のフィルター的には人間としてしてはいけないことと、するべきことが存在する。おそらく一番ダメなのは、このフィルターを相手にも押し付けることであろう。「君も私と同じように世の中を見るべきだ」とか「君も私と同じように振る舞うべきだ」と相手に押し付けたり、相手を自分と同じ側に来るように誘導することが、もっとも愚かな行為だと思う。であるならば、最終的な決定権は相手に委ねつつ、そこに到達するまでの思考密度を高める手法を与えることが、せめて我々にできることである。
「最終的には自分で決めてよい」と言われれば、言われた方は余計に慎重になるだろう。余計に考えることになるだろう。そこに誘導や強制があると反発したくなるのが人間なのだ。誘導や強制のないフラットな選択肢であれば、思考密度が高まるのである。我々に残されたのは、考えることをを提供することである。考えることを提供するにの大事なのは、選択の自由なのである。自由こそが、思考密度を高める土台なのだ。
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