あらゆるコンテンツをむさぼり読め〜読書について

2019.11.09 (土)

 

ん〜、著者は批評の神様らしい。ということは、この本もそこそこは一流の部類に入るのだろうか。この本の中で、著者は「一流の本のみを読め」というようなことを言っている。他にも「一流の本のみを読め」というようなことを言っている人はいる。「悪書を読んでいる暇がもったいない」という意味なのだろうと思う。同じような言葉で、「古典を読め」というのもある。古典とは大昔に書かれた本のことで、今現代までの読み受け継がれているということは、古典というものも一流という部類の本のことをいうのだろう。

 

 

けれど正直にいうと、面白くないのだ。たとえばこの本もそうなのだが、どうしてもこういう面白くない本を勧めるのだろう。「一流の本を読め」とは言うが、一流の本は大抵、読みづらい。読みづらいと頭に入ってこない。読むのに時間もかかるし、インプットされる内容も薄いものだ。本から読み取れる情報も、表面的なものに過ぎないだろう。それでも「一流の本を読め」というのだろうか。読みづらくとも、読むのに時間がかかろうとも、読み取れる内容が表面的であろうとも、それでも一流の本を読め、というのだろうか。

 

 

この本も、期待して読んだ割には大した内容ではない気がする。著者である小林秀雄氏とは、明治35年に生まれ、昭和58年没となっている。私の感覚でいうと、かなり昔の人だ。

 

 

著者は、高校時代、べらぼうに本を読んでいたらしい。何冊もの本を並行して読んでいたと言っている。さらに著者は、全集を読むことを勧めている。その人を理解したいのなら、「全集を買って読め」と。その人のメモや、走り書きや、覚え書きなど、ちゃんとして本になっているものの他に、赴くままに書かれたようなものまで読んで、それでようやくその人をりかいでkるようになる、らしい。

 

 

けれど、そこまでして一人の人を理解する必要があるのだろうか。そこまでして、一人の人に費やす必要があるのだろうか。もちろん、しないよりかはしたほうが良い。その人を理解しないよりかは、理解したほうがいい。全集を読まないよりかは、読んだほうがいい。そんなことはわかっている。けれど、そこまでして時間とエネルギーを費やして全集を読んで、その人の考えたことを隅から隅まで読んだとして、果たしてそれは費用対効果的にはどうなのだろう。

 

 

思うに、この著者が生きていた時代、昭和の時代には、まだまだ情報が少なかった。インターネットなんて知らなかっただろうし、ツイッターやフェイスブクだって知らなかっただろう。そのような時代背景があるのだから、こんなにも「良書を読め」「古典を読め」というのではないか。今の時代には、もはや当てはまらないのではないだろうか。今の時代、わざわざエネルギーと時間を費やして、難しくて半歩づつしか前に進めないような古典を読むことに、どれだけの意味があるのだろう。スマートフォンがポケットに入っている。すぐに取り出せるスマートフォン。そのスマートフォンが、世界への窓口になっている。それで十分なのではないか。今の時代、情報があふれていて、やるべきことや読むべきものが多すぎる。

 

 

紙の本の他に、電子書籍だってあるし、フェイスブックだってあるし、ツイッターだってあるし、個人ブログもあるし、ホームページもあるし。映画だってあるし、ネット動画だってあるし、ユーチューブだってあるし。エネルギーを費やす対象、時間を掛ける対象というのは、無限にあるのだ。もはやコンテンツは、一人の人間が一生かかっても消費できないくらいに膨れ上がっている。だから、わざわざ「古典に限る!」「良書に限る!」というのは、やはり時代が違うから言えることなのではないか。昭和の時代の人間だから言えたのではないか。

 

 

もしもこの著者が今の時代に生きていたら、「古典に限る!」「良書に限る!」なんてことは言わないのではないか。スマートフォンがなかった時代だから、本を何冊も持って、貪るように読んだのであろう。今の時代は、そこまでしなくてもいいだろう。なんたって、ズボンのポケットにスマートフォンが入っている時代なのだから。指先一つで世界中のテキストにアクセスできる。本のみならず、SNSも含めて。エネルギーを古典だけに費やしていては、無駄なのではないか。

 

 

とまあ、そうは言っても、まったく本を読まない、というのも問題だとは思う。やはり、本というコンテンツには、SNSやインターネット以上の価値あるコンテンツが凝縮されていると思うし、そう信じたい。読書をしている時間と、インターネットを見ている時間、得られる知識や考えさせられる内容については、やはり読書をしている時間の方が重い。

 

 

昭和の時代の読書と、今の時代の読書は違う。確かに読書は大切だ。それは昔も今も変わらない。が、読書の意味するところが違ってきているのだと思う。昔の読書とは、いまでいうインプットのことではないのだろうか。著者がいう「あらゆる本をむさぼり読め」とは、「紙の本に限らず、あらゆるコンテンツを時間を惜しんで視聴しろ」ということなのではないだろうか。

 


 

 

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