子どもにも残したい、野村克也さんの名言。思い込みを排除せよ
「面白かった映画は何か」「影響を受けたアニメは何か」「印象に残っている漫画は何か」「人生を変えた本は何か」などと考えて、どれがそうであるかの選別は難しいのだけれど、一つの選別法として、長い時間がたっても覚えているものは、そうであると言っても良いのではないか。
映画の中のワンシーンや、アニメの中のセリフや、本の中の文章。その中のごく一部分でも、何十年という長い時間を経ても思い出せるのだならば、それはその人に影響を与えたものと言えるのではないか。
ボクは子どもの頃にバスケ部だったこともあって、漫画スラムダンクを愛読していた。スラムダンクと言えば読んでいた人も多く、印象に残るセリフばっかりだったし、「人生を変えた漫画」として選ぶ人も多いのではないか。
社会人になった今でも覚えているシーンが、山王戦での三井寿に対する木暮のセリフだ。「過去の自分を美化し……」というところ。これは今でも覚えているし、このセリフの価値があせることはないと思っている。というか、社会人になったいまでは余計に気にかけなければならない言葉だと思う。
このセリフは、主観と客観の誤差を示していると言える。「自分ではこう思うのに、周りから見ればそうではない」というやつだ。その典型が、過去の自分を美化することなのだろう。大抵の人は、過去を美化している。背伸びをして、「今の自分はそうでもないかもしれないが、過去はすごかった」と素で考えている。小学生がよく使う「オレはまだ実力の●パーセントしか出していない」というのと同じだ。
主観と客観では、大きな隔たりがあるのだ。社会を、世界を、世の中を正しく見るためには、主観に囚われてはいけない。
近代イギリスの哲学者であるフランシス・ベーコンは、世界を正しく見る方法として、思い込み(イドラ)を4つに分類している。種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラである。
種族のイドラは、人間ならでは思い込みのことであって、太陽が地球の周りを回っているように見えるのが、その典型だろう。あと、地平線の近くにある月が、夜空の真上にある月よりも大きく見えるのも、目の錯覚らしい。距離的に月が地球に近づいていて大きく見えるわけではないらしい。
洞窟のイドラとは、個人的な思い込みだ。サンプルデータが自分一人であるにも関わらず、全人類がそうであるように思ってしまうこと。熱狂的巨人ファンとかそうなのだろうか。巨人が一番では無いにしろ、巨人が一番だと思っているんだろうな。
市場のイドラとは、ただの噂を信じてしまうこと。人の話に騙されてしまったり、オカルトを妄信してしまったり。オレオレ詐欺もこれに属するのだろうか。「おかあさん、オレだよ。実は借金があって……」というやつ。こういう人は大抵、お金を振り込んで、何もかもしてしまってから110番通報をしてくるので、警察も対応が大変である。とりあえず「息子の窮地」という最悪の状況を回避してから110番をするのだ。
劇場のイドラとは、権威を信じてしまうことだ。偉い人が言ったことだから、というやつだ。これは警察官に多いのかもしれない。「署長が言っているから」とか「上から通達が来てるから」とか。理由にならない理由を述べて、無理な指示を無理でないようにしようとしている。
で、僕が選ぶ野村克也さんの名言も、「思い込みを排除せよ」というやつだ。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」である。
普通に考えれば、勝負ごとに不思議があったり、不思議がなかったり、そんなことはない。何かしら理由があって負けるのだし、その理由が偶然の時もあれば必然のときもある。負けるときもあるし、勝つときもある。試合ごとに隔たっているわけではない。
では、野村さんの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉は間違っているのだろうか。「勝ちにも負けにも隔たりなんかないだろう」と一蹴できるのだろうか。
そうではない。というのも、人間は思い込みに支配される動物だからだ。三井寿に対する木暮の言葉もそうだし、フランシス・ベーコンのイドラもそう。思い込み、偏見、色眼鏡……。それこそが、僕たちが排除しなければならないものであって、これを排除して世の中を見なければ、世の中はキレイに正しく見えない。
恐らくプロ野球という、常に勝つことを課される状況でプレーしている人たちは、勝つことに縛られているのではないか。実力があるとか無いとか、そんなことに囚われているのではないか。常に「自分はプロでは通用しない人間だ」という恐れと隣合わせでプレーしているのではないか。負けてしまうこと、勝てなくなってしまう事を恐れている。だから、「オレには実力があるんだ!」と思わずにはいられないのだろう。
だから、勝てば「オレの実力があったから勝ったんだ!」と思うし、負けても「いいや、こんなはずはない!」と考えるのだろう。小学生の「オレはまだ実力の●パーセントしか出していない」と同じである。
野村克也さんの「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、この心理を戒める意味を持っている。「オレの実力があったから勝ったんだ!」と思いがちなところに「いいや、たまたま勝っただけかもよ?」と水を浴びせ、「いいや、こんなはずはない!」と思いがちなところに「それが実力だよ、しっかりと現実を見ろよ」と厳しい言葉を投げかけてくる。
「オレはまだ実力の●パーセントしか出していない、本当のオレはこんなものではない! 本来のオレは違うんだ」と、背伸びしてしまいがちな時に「思い込みを排除せよ」と言ってくる。
社会人として働いている今、周りを見てみると、思い込みの中で生きている人が目につく。電車の中でも、居酒屋でも、「昔のオレはすごかった」と過去を美化している人がたくさんいる。そんなときにこそ、野村克也さんのこの言葉を思い出したい。
子どもに投げかける言葉、というよりは、子どもと接する機会のある大人が自分に対して投げかけなければならない言葉だと思っている。
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思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
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