思いやりとは連想ゲームにすぎないから、誰でも身につけられる(その1)

2019.08.13 (火)

思いやりについて話そうと思う。どうしてこのテーマを選んだかというと、おそらく社会を良い方向に持っていくには、思いやりが必要だからだ。小学校の頃、校長先生から朝礼で言われなかっただろうか。「思いやりを持ちなさい」「思いやりを持って相手に接しなさい」と。私も小学校の頃、体育館の中で、暑い校庭の中で、思いやりに関する校長先生のありがたいお話を聞かせられた気がする。

 

 

けれど、これほど曖昧な言葉もないのではないか、とも思うのだ。思いやりとは、辞書によると、相手の身になって考えることらしい。おそらくそうすることで、気遣いが生まれるのだろう。例えば怪我をした人が道路上にいたら、おそらくその人は「助けてほしい」と思っていることだろう。年配の人が道路上で、うずくまって足を抑えてでもいようものなら、「助けてほしいのだろう」と推測することができる。あからさまだからだ。ただ、世の中そうあからさまな場面だけでもあるまい。相手の心を読まなければならないが、なかなか読めないという場面が多いだろう。仕事をしていても、遊んでいても、家族といても、なかなか相手の心の中は読めない。自分という人間がいて、目の前に相手という人間がいて。その相手が何を考えているのかなんて、どう考えても分からないだろう。

 

 

そんな曖昧で、「不可能なんじゃないの?」と思われるような「思いやり」というものについて、簡単な方法を示そうと思う。

 

 

とその前に、私のことについて、少し話そう。どうして私が思いやりというものについて語っているのか。「そんなことを語っているお前は何者なのだ」という声が聞こえてきそうだからだ。

 

 

私は警察官をしていた。全国にいる、紺色の制服を着て、事件や事故の処理をするあの警察官だ。10年ちょっと務めたと思う。警察の仕事って、どんな仕事だと思うだろうか? もっと言うと、警察官ってどんな人に囲まれて仕事をする職業だと思うだろうか? 例えば、医者だったら「病気を治したい」とか「どうにかしてこの痛みを取り除いてほしい」と思っている人に囲まれて仕事をしているだろう。事実、医者が仕事をしている病院には、そんな人がたくさんいる。もう一つ、レストランのシェフはどうだろうか。おそらく、「美味しいものを食べたい」とか「何かものを食べたい」と思っている人に囲まれて仕事をしているだろう。レストランは料理を=食べるところだし、レストランのお客さんは、そんな感じの人であることが容易に想像できる。

 

 

ここで話が警察官に戻るが、「では警察官はどうなのだろう」ということだ。警察官とは、どんな人間に囲まれて仕事をしているのだろうか。犯罪者? 交通違反者? 事故関係者? どれも正しい。確かに犯罪者や、交通違反者や、事故関係者に囲まれている、という考え方もできるだろう。警察とは事件や交通違反や交通事故を処理する機関である。その当事者たちと接することも、警察官以外の人たちよりも多いはずだ。

 

 

けれど、実はそれが一番ではない。警察の周りにいる人間は、犯罪者や交通違反者や事故関係者が一番割合的に多いのかというと、そうではない。これらの人たちは、ごく一部なのだ。海面から出ている氷山の一角。ごくごく一部でしかないのだ。ではどんな人たちが多いのか。海面下にある氷山の本体には、どんな種類の人たちが控えているのか。

 

 

それは、イライラした人たちである。警察官はイライラした人たちに囲まれており、警察とはイライラした人たちに囲まれて仕事をする職業のことをいうのだ。イライラとは、怒りの感情のことだ。「何か面白くないなあ」とか「なんでこんな風になるんだよ」という自分の期待と実際に起きた事実にズレがあるという状況の人。Rageの感情だったりHateの感情だったりを内に秘めた人たち。そんな人たちが、警察官が常日頃接している人たちなのだ。

 

 

ハインリッヒの法則を知っているだろうか。警察官が接しているイライラした人たちや、犯罪者とは、ハインリッヒの法則に似ている。ハインリッヒの法則では、1件の重大な事故や災害の裏には、29件の軽微な事故や災害、そして300件のヒヤリハットがあるとされている。

 

 

このハインリッヒのトライアングル定理に、犯罪者やイライラした人、というのは似ているのだ。つまり、「1件の重大な犯罪や交通違反の裏には、29件の言い争いやトラブル、そして300件のイライラがある」のだ。犯罪や交通違反や交通事故とは、ピラミッドの最上段の石にすぎない。たくさんのイライラがあって、多くの言い争いがあって、その中でも厳選された重大なものが、犯罪にいたるのである。「犯罪には至らないけれど、言い争い」「犯罪手前のトラブル」なんてのは、一条茶飯事なのだ。で、その言い争いやトラブルにも至らないような、極めて目に見えにくいものが、イライラなのだ。言い争いやトラブルの末に犯罪はあり、イライラの向こう側に言い争いやトラブルは存在しているのである。

 

(その2へ続く)

 


 

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