思いやりとは連想ゲームにすぎないから、誰でも身につけられる(その2)

2019.08.14 (水)

さて、ここからがハインリッヒの法則の面白いところで、ハインリッヒは、重大な事故や災害を防ぐにはどうしたらいいと言ってのか。重大な事故や災害を防ぐには、ヒヤリハットの段階で対処していくことが大切だ、と言ったらしいのだ。なんと、大事なのは、事故や災害ではなく、ヒヤリハットだったのだ。目を向けるべきは、事故や災害ではなく、ヒヤリハットの方だったのだ。

 

 

「具体と抽象」ということかもしれない。我々はハッキリと分かりやすい事故に目を向けがちだ。日常とかけ離れた出来事だから、具体的で分かりやすいのだ。けれど、そんな日常からかけ離れたピラミッドの最上段の石にばかり目を向けていたところで、対処はできない。対処するべきは、日常と異常のボーダーライン。ハッキリと「これ」とは分からないような、日常からの延長上にあるようなヒヤリハットの方だったのだ。おそらく、災害にまでなってしまうと、規模が大きくなるのだろう。手がつけられなくなるのだ。だから、まだ手の施しようがあるヒヤリハットの方に対して、アプローチを取るのである。

 

 

同じように、対処すべきはイライラなのだ。アプローチすべきはイライラなのだ。犯罪や交通違反になると、そう簡単には手の施しようがないのだ。事実、犯罪者とは、性格的に異常とも思えるような人も多く、その人に対して何かしらのアプローチをしようとしても、なかなか思いつかないだろう。そうではなく、まだ手の施しようがあるイライラの段階で、手を施すのだ。「イライラをしないようにするにはどうすればいいのか」が、我々が考えるべきことなのだ。

 

 

思いやりとは、イライラの対極にあると言える。負の感情の最たるものがイライラで、正の感情の最たるものが思いやりだと言える。イライラをなくし、世の中に思いやりを増やすにはどうすればいいのか。それが、私が警察官を通して、ずっと考えていたことだ。

 

 

イライラしないにはどうすればいいのか。それは、相手と友達になってしまえばいいのではないか。相手と仲良くなってしまえば、イライラは起こりづらく、思いやりの感情の方が出てくるだろう。好きな相手、仲のいい相手には、多少なりとも負の感情が起こっても、気にしないだろう。

 

 

例えば、飲み会で誰も知らないグループの中に座ってしまったとする。友人から誘われて飲み会に参加したものの、その友人は遠い席についており、周りには知らない人ばかりだ。そんな時には、負の感情が起こって「なんだよ面白くねえな」「もう早く帰ってしまいたい」と思うものだが、こんな時、もし隣に座っていた人間が、同じ中学の出身であることが判明したらどうだろう。何か親近感のようなものが生まれるのではないか。それを突破口にして、話をしやすいのではないか。その人と通じる話がある、と思えるのではないだろうか。

 

 

例えば、仕事ができない部下と一緒に仕事をしていた場合、よくありがちなのが、イライラしてしまうことだ。これでは負のスパイラルに陥ってしまう。仕事ができない→イライラ→仕事を教えない→余計に仕事ができない、という連鎖にはまってしまうだろう。でも、でも。ここで部下に対して、「俺も昔はそうだったなあ」とでも思えたなら、イライラが減って、相手に寄り添う気持ちができるのではないだろうか。

 

 

もうお分かりだろうか。イライラしないようにするには、相手と仲良くなればいいのであって、相手と仲良くなるには、相手と自分の共通点を見つければいいのだ。子どもにしてもそうだろう。どんなに可愛い我が子でも、イライラするときはイライラする。言うことを聞いてくれなかったり、予定があるのに手間を取られたりすると、どうしても負の感情が出てくる。そんな時に「自分にも、わがままな子どもの時代があった」と思えば、イライラが引っ込むのではないだろうか。相手と自分を、子ども時代を共通点にして重ね合わせるのだ。そうすれば、負の感情に支配されがちになるところを踏みとどまることができるだろう。

 

 

では、共通点の見つけ方について説明する。同じ出身県や、同じ趣味など、分かりやすい共通点がある場合はそれでいいのだろうが、分かりやすい共通点ばかりではない時もあるだろう。自分と相手には一見、相違点しか感じられないときもあるだろう。そんな時にどうしたらいいのか。

 

 

アナロジーを使う。アナロジーとは、日本語で言えば、類推とか連想というものだ。類推とは、「似たような種類から想像する」という意味だ。例えば、

 

バナナ→◯

 

という問題があったとして、この◯の中に何が入るか分かるだろうか。おそらく誰も分からないだろう。では、次の場合はどうか。

 

リンゴ→赤

メロン→緑

バナナ→◯

 

今度は分かった人が多いだろう。そう、◯の中には「黄色」が入ると想像できる。「リンゴ→赤 メロン→緑」という前提があったから、これをベースにして「バナナ→◯」の◯の中に入るものを連想したのだ。似たような種類のものをベースにして想像したのである。これがアナロジーと呼ばれるものだ。

 

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(その3へ続く)

 


 

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