思いやりとは連想ゲームにすぎないから、誰でも身につけられる(その3)

2019.08.15 (木)

アナロジーには、3つの効果があると言われている。

・自分を納得させる効果

・相手にうまく説明できる効果

・新しいアイディアを発想する効果

の3つである。

 

 

自分を納得させるとは、新しいものに出会ってもテンパらないことだ。例えば、新しい自転車を買ったとして、「その自転車の使い方が分からない」ということは、ほとんどないだろう。自転車の漕ぎ方なんて、時代や地域で変わるものではない。それまでに自転車に乗ったことがあるのなら、新しい自転車を買ったところで、それまでの延長に過ぎないのだ。

 

 

相手にうまく説明できるとは、いい例えを提示することだ。相手に未知なるものを説明する時、相手にとって既知のものを示して、「それと同じようなものだ」と説明する。そうすると、相手は未知のものでも、それまでの延長上で考えることができる。

 

 

新しいアイディアを発想するとは、既存のものから、新しいものを作る、ということだ。どんなに新しいものも、既存のものの応用に過ぎない。新しいものとは、既存のものの延長にあるのだ。

 

 

この3つに共通して言えるのは、未知のものを未知とせず、既知の延長とすることだと思う。新しいものに出会った時、既知のものの延長だと思えれば、理解を助けて自分を納得させることができるだろう。相手に新しいものを示す時、「あなたが知っているコレと同じようなものですよ」とすれば、相手の理解も深まるだろう。何か新しいアイディアを考える際も、全くのゼロからではなく、既知のものの延長を考えれば、アイディアも出て来やすいだろう。

 

 

私は、アナロジーの4つ目の効果として、「相手に身になって考えることができる」というのを示したい。言い争いやトラブルの現場でよく聞くのが「わかんねえ」という言葉である。言い争いをしている者どうしが、お互いを「未知の人間」として認識しているのだろう。自分とはかけ離れた存在、自分とは別の生き物として、お互いを見ているのだ。

 

 

けれど第三者の立場で見ると「君ら、一緒だよ」と思うのである。言い争いをしている者どうしを静める警察官の立場で見ると、「どっちもどっち」なのだ。どんぐりの背比べと同じである。「自分の方が大きい」「いや、自分の方が大きい」と言い争いをしてはいても、人間から見ると「どっちも同じ」なのだ。

 

 

相手に対して「わかんねえ」と言って、未知の者として見てしまうと、イライラしやすくなる。思いやりが生まれにくいのだ。するべきことは自分を相手と重ね合わせることだ。「どこか自分と似ているなあ」と思えればこっちのもの。途端にイライラは低くなるだろう。

 

 

妻から言われる台詞の一つに、「あんたのこと、分かんない」というのがある。ケンカや言い争いをするとよく言われるのだ。けれど、その場に第三者がいた場合、おそらく自分と妻は同じ類の人間として見られるだろう。ケンカをしている時点で同類なのだ。接触ポイントのようなものが同じなのだろう。意見の相違があるとはいえ、同じテーマで熱くなれるということは、それに対して関心があるということ。同類なのだ。そう考えると、イライラしている自分が滑稽に思えてくるだろう。同類にも関わらず、お互いに「自分と相手は違う」と言い争っている状況は、どんぐりの背比べと同じである。

 

 

相手を未知の者として扱わず、既知の延長として見られるようになること。分からない者として見ずに、分かっている延長として見られるようになること。それがアナロジーを人間関係に応用する目的であり、それこそが相手に身になって考えることだろう。コレは思いやりそのものではないだろうか。

 

 

はじめの方に書いたが、アナロジーとは連想ゲームのようなものである。何を連想できるか、なのだ。それまでの人生で培って来たバックボーンをベースにして、未知を既知の延長にしてしまうのである。よく分からない相手も連想ゲームを使えば、途端に分かる部分が出てくるだろう。

 

 

大事なのは、連想「ゲーム」であることだ。結局はゲームなのだ。相手の価値観はどこにあるのか。相手が好きなものは何なのか。相手が嫌いなものは何なのか。相手は何を大事にしているのか。そんなことを、自分がすでに知っている部分から想像するのである。

 

 

ゲームというのは強い。何が強いのかというと、惰性でできてしまうからだ。テスト勉強のように、気合いを入れて「やるぞ!」というものではない。お坊さんの修行のように、苦しいものを我慢して成し遂げるようなものでもない。やっていると、いつの間にか続けてしまう。ダラダラした人間でも実践可能。それがゲームなのだ。

 

 

学生の頃、RPGゲームにはまっていたことがある。だらしのない学生だった。どんな風にだらしがないかというと、夜中までゲームをして、次の日の朝にコントローラーを持ったまま目が覚める、ような学生だったのである。こんなダラダラした、だらしのない学生だった私でも、手放さなかったのがゲームなのだ。ゲームとは、誰にでも通じる、極めて再現性が高いもので、誰でもできるのだ。

 

 

アナロジーを使って、相手に対する思いやりを実践する。アナロジーとは、ただの連想ゲームである。ハードルは低く、誰でもできるものなのである。

 

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