レトリックとは、個性を際立たせるための技法なのだろう
「個性がありますね」
そんなことを相手方から言われたことがある。僕がインタビューを受けたときだ。
このインタビューとは、僕の仕事に対するインタビューだった。「どんな仕事をしていのか」とか、「どうしてその仕事をしているのか」とか。それに対して僕はレトリックを使った答えていったのだけど、インタビュアーが僕に対して「個性ありますね」という感想を持ったのは、僕の個性がうまくインタビュアーに伝わったからであって、それはレトリックを上手く使えたからに他ならない。
僕はこのレトリックというものが好きで、普段から意識して使っている。
インタビューを受けたときも、自分の過去の体験、誰もが知っている有名なセリフ、たとえ話。そんなものを使って質問に答えていった。レトリックというのは個性を際立たせる。レトリックとは、個性を出すための技法なのだと思う。
自分の過去の体験は、直接に個性と結びつく。自分が経験した体験とは1つしか無い。他の人間には体験できないものだ。自分が直接に経験した体験よりもリアルなものはない。リアル感を出せるとともに、「そいういう体験をしている」という個性を出せる。
有名なセリフを用いることやたとえ話も、結局は個性を出すことにつながる。「有名なセリフは、誰もが知っているわけだから個性には繋がらない」と思う人もいるかもしれない。自分ひとりが知っているわけではないので、決して「個」ではないだろう。
けれど、その有名なセリフに対する飛躍が、個性になるのだ。今目の前にある会話、それと有名なセリフを結びつけることそのものに個性が宿るのだ。
たとえば経営の話をしている時に「〇〇が言っていた『〇〇』というセリフがあるのですが」とか「〇〇も『〇〇』と言っていたように」と話に放り込めば、相手は「なるほど、この人はそういう見方をしているのか」と、相手によりよく話をイメージしてもらうことができる。
相手によく自分を理解してもらうことにつながるし、自分をよく理解してもらえれば当然、個性を持って見てもらえることになる。「自分」という太くてハッキリとした輪郭をもって見てくれるようになり、「自分の話は他の人とどこが違うのか」をよりわかってもらえるようになる。
たとえ話もそうだ。これなんかは、自分の体験よりも、有名なセリフよりも個性が出やすい。
たとえ話とは、繋げることである。自分が今、相手に伝えようとしていることを、より相手にとって身近なものに見立てて説明する手段だ。相手にとってわかりやすくなると同時に、自分の世界観を伝えることができる。「自分はそれに対してこう見ているんですよ」「自分が伝えようとしてるものはこういうものなんですよ」という個性を発揮することができる。
僕はインタビューを受けた時、日々コラムを書くことを、ジョギングにたとえて話をした。
僕は毎日コラムを書いているけれど、もちろん毎日文章を書いて記事を更新することは骨の折れる作業だ。検索サイトで検索されるようになるには条件があって、その1つは更新だと言われている。良質な記事を書くのはそうだけど、「どれが良質な記事なのか」なんてのは判断がつきにくい。
それに比べて更新頻度というのはわかりやすいだろう。更新頻度も、「良質な記事」あるいは「良質なサイト」と判断される条件の1つなのだ。それに更新が頻繁であれば、それだけ管理者の力も上がることになる。記事を更新するにはライティングが必要だけれど、ライティング能力を上げるには実践しかなく、すなわち書くことである。
というわけで僕は日々コラムを書いているのだけれど、確かに日々のコラムの更新は誰もができることではないらしい。毎日の更新を心がけようとして挫折した人がたくさんいる。
そんな中で、僕はコラムの更新をジョギングにたとえた。「ジョギングのようなもので、やらないと不快感が残る。やっている間は苦しいけれど、開放感や達成感があるので楽しいんですよ」と。
コラムの更新とジョギングを繋げる飛躍は3つある。不快感と、開放感と、達成感。毎日やっているのに一日でもやらないと「今日はやらなかったな」という不快感がある点で、コラムの更新とジョギングは同じだ。
やっている間に訪れる開放感も、コラムの更新とジョギングでは同じだ。キーを打っている間のパチパチという心地よい音とともに指先から伝わる高揚がそこにはある。
毎日やっているからこそ、「今日も更新できた」「今週も更新できた」「今月も更新できた」という達成感を得ることもできる。
誰もがコラムの更新とジョギングを繋げられるわけではない。コラムの更新に快を感じる人は多いだろうけれど、同じ快でも、どんな快なのか。繋げることに個性が表れるのだ。同じ快でも、その快に何を繋げられるかで人の意見は分かれるし、何と繋げたのかという飛躍に個性がにじみ出る。
レトリックとは、文章に対する装飾ではあるし、それが時には「表面的だ」と揶揄されるのだけれど、僕はただの表面的な装飾だとは思わない。レトリックは、上手く使えば文章や話に個性を出せるし、その個性が文章や話を面白く機知に富んだものにするのだ。
二番煎じではない、どこかで聞いた感のある話でもない、よく耳にする事でもない、オリジナル感のある話。その人ならではの見方が示されている話。聞いていて「そういう見方もあるのか」と納得できる話。そんな個性を引き出すのに、レトリックは役立つのだ。
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