正しい事故原因とは
「因果関係」ほど曖昧なものはないのかもしれない。
著者いわく、「因果関係なんてのは当事者の思い込み」なのだそうだ。本書を読んだ僕もそう思う。
警察官に限らず、どの職業でも因果関係は仕事をするうえでの大事な要素になる。因果関係があるから仕事が成り立つのであって、因果関係を否定してしまったら仕事なんてものは存在しなくなる。
交通事故があったら、その原因を捜すのが警察の仕事である。無理な車線変更をしたのではないか。スマートフォンを運転中に見ていたのではないか。ぼーっとしながら運転していたのではないか。あらゆる想定から「これは」というものを見つけるのだ。
ケンカして相手を殴ってしまった犯人がいるのなら、どうして相手を殴ってしまったのか、過去を振り返らせ、原因を探り、反省させるのが警察の仕事である。殴ったという結果に対する原因を見つけて、二度と同じ結果が起きないように、犯人に諭させるのである。
警察以外の職業として、たとえばシステムエンジニアだったら、どうしてうまくホームページが表示されないのか調べるだろう。検索サイトやSNS経由で訪れた訪問者が、ホームページの中で発信者の意図を理解し、商品までたどり着けるように、システムエンジニアはプログラムしなければならない。ホームページがうまく作動しないのなら、原因を調べるだろう。
医者だってそうだ。「喉が痛いんです」「お腹が痛いんです」「熱があるんです」とうったえてくる患者に対して、薬を処方しなければならない。「喉が炎症を起こしているから」「便が溜まっているから」「ウィルスによる感染」などの原因を探るのだ。
だが、ここでよく考えてほしい。たとえば事故を起こした当事者に対して、警察官は「スマートフォンを見ていたのが事故の原因だ」というとして、これは本当に事故を起こした原因だろうか。といのも、結果に繋がる原因というのはいくらでも考えられる。
事故を起こした当事者が本当にスマートフォンを見ながら運転していたのだとしても、「それだけが原因だ」とは言えないはずだ。
スマートフォンを見ていたとしても、道路脇から飛び出してくる人がいなければ事故は起きなかっただろうし。スマートフォンにLINEを送ってくる上司がいなければスマートフォンを見なかったはずだ。車を運転する機会を与えた人間、たとえば運転する仕事を与えた会社、免許を与えた行政、車を作ったメーカーでさえ、原因の一端となる。
ケンカをして相手を殴った犯人だって、警察官は「仕事の人間関係でイライラしていた」というのを直接の原因とするかもしれない。だがそれは本当に直接の原因なのだろうか。原因なんていくらでも言えるし、どれが「直接」なのかも考え方次第でどうにでもなるはずだ。
本当に仕事の人間関係でイライラしていたとしても、人間関係のイライラなんて積み重なるものだ。家庭でも人間関係のイライラがあったのかもしれない。イライラしていたとしても、殴る相手が誰でも良かったわけではないだろう。殴られた方にも原因があったのかもしれない。
そう考えると、関係者が生きてきた全てが原因になる。生まれてから何十年と生きてきて、その全てが組み合わされた初めて、結果というのが発生する。「生まれてきたことが原因」とも言えるのだ。
けれど、「生まれてきたことが原因ですね」なんてことを言われて納得する人は間違いなくいない。事故の原因を「生まれてきたこと」と判断する警察官はいない。相手を殴った犯人に対して、「生まれてこなきゃよかったんだよ」と原因を結論づける警察官はいない。
システムエンジニアも、ホームページの管理を依頼したクライアントに対して「こんなホームページを作るように依頼したあんたが原因だ。あんたなんか生まれてこなきゃよかったんだ」なんて言わない。
医者だって患者に対して「生まれてこなければ、痛みに苦しむこともないんですがね」なんて諭すことはしないだろう。
この「うまれて来なきゃいいんだ」をはじめ、数々の要因は、確かにきちんとした原因である。これらの要因がなければ結果は生まれなかったのだ。結果を構成する要因である以上、きちんとした原因である。
けれど、僕たちは「生まれてこなければ」なんて原因を言われて、納得することはしない。「そんなものは原因にならない」と思ってしまう。
事故を起こした当事者に対しても、車を運転するように支持した上司、免許を与えた行政、車を作ったメーカーは原因として成り立たないと考える。スマートフォンを使って事故を起こしたのなら、あくまで原因はスマートフォンなのだ。
どうしてスマートフォンなのかというと、結局は「それが原因として納得しやすいから」としか言えない。車を運転するように支持した上司、免許を与えた行政、車を作ったメーカーが原因とならない理由なんか無いのに。どれが妥当なのか、どれが常識的なのか、という自分の納得のしやすさで原因を決める。
つまり思い込みなのだ。
因果関係ほど曖昧なものはない。僕たちは物事の発生に対して、「これが原因だ」という納得感を求める。
けれど納得感のある原因を突き止められたなら、その時こそ疑った方がいい。その時こそ視野を広げようとした方がいい。
どうしてこの原因に納得感を感じるのか。どうして他の考えられる原因ではダメなのか。自分でよく考えた方が良い。そうすれば、自分が納得している原因が、ただの自分に都合のいい思いこみでしか無いことに気づくはずだ。
テレビやインターネットニュースを見ていて、「真実が知りたい」とか「本当の原因を追求してくれ」といって、裁判所や警察官など、原因を解明したとしている機関に対して異議申し立てする人を見たことがあるだろう。
ああいう人たちは、納得したいだけなのだ。自分にとって都合のいい原因に帰してくれることを求めているだけなのであって、要するにワガママなのである。
世の中に因果関係なんてものはないのかもしれない。本当に因果関係を求めるなら、大きな風呂敷を広げて「この世があるから」「あなたが生まれてきたから」「「人類がいるから」なんてことを言わなければなくなる。
けれどそんな大風呂敷を広げても誰も納得できないから、各々自分にとって都合のいい原因で納得しようとするのである。因果関係なんて無いのかもしれない。「因果関係」という言葉ほど曖昧なものは無いのかもしれない。
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