反省させると犯罪者になります

2020.07.25 (土)

「反省させると犯罪者になります」という本があるらしい。

 

 

自分では読んでいないのだけれど、フェイスブックの投稿で流れてきた。僕がフェイスブックの「読んだ本をレビュー投稿する」というグループに入っているので、この本を読んだグループメンバーがレビューを投稿して、その投稿が流れてきたのだ。

 

 

だいたいの内容としては、無理に「ごめんなさい」を言わせても、その人が自発的に反省をしなければ意味がないだろう。そんな表面だけ取り繕ったようなことしていては、「ごめんなさいって言えばいいのか」のような上辺だけ反省して、実際には悪いことを繰り返すようになる‥のような内容らしい。

 

 

ちなみに僕はこの本を読んでいない。もちろん、「非行診断師」という肩書の僕と守備範囲は同じようなものだし、読んだほうが良いのだろうけれど、あんまり時間もない。この本を読んでいる時間が今はない。今は古典に凝っているので、そっちの方に時間を割きたい。僕が本を読むペースは、一年におよそ100冊程度。残りの寿命は50年とすると、残りの人生で読める本は5000冊程度、ということになる。

 

 

これはあまりにも少ない。読む本を絞る必要がある。アレもコレも‥と手を出せる状況ではなくなってきた。歴代の哲学者、イギリスや日本の近代の文豪たち。彼らの作品をできるだけ読もうと思ったら、時間がいくらあっても足りない。

 

 

しかも、一回読んだだけでは内容がわからなかったりするので、2回や3回と読む必要がある本もある。それと、後になって急に再読したくなる本もある。おそらく読書というのにもタイミングがあって、わかる時とわからない時があったり、刺さるときと刺さらない時があったり、自分の人生とつながる時とつながらない時とがある。一回読んだところで、わかる時や刺さる時やつながる時だとは限らない。

 

 

それと、本は読んで終わりではない。本を読んで、その気づきを活かす余裕もほしい。人生の最後の最後でとてつもないいい本に出会ったとして、その本の内容を人生に活かせないで終わってしまうのでは、あまりにももったいない。

 

 

いい本を読んで、「この本の内容、いいなあ‥」と思ってそのまま死んでしまったのでは、僕がその本を読んだ意味はなくなってしまうのではないか。読んだからには社会に還元したい。読んだからには周りの人に本からの影響を伝えたい。その本の内容や本から得た気づきを誰かに話したい。

 

 

「本を読んだ後に、その本を活かす余裕もほしい」と考えると、「本はできるだけ早く読んだ方がいい」とも考えてしまう。そうなると、「死」に対するイメージをどう持っているか、とか考えてしまう。

 

 

死に向かって突き進むこの人生、残りの寿命をどうまっとうするか。残りの人生をどう生きるか。いざ死に向かって入っていく時、いざ死ぬ時はどうやって死ぬか、そんな、「『死観』をどうもつか」が大事だと思えてくる。

 

 

‥話をもとに戻して「反省させると犯罪者になります」だけど、この反省を促すことの罪は、僕も警察官をやっていく中で感じていたことだ。

 

 

というのも、大人でさえもまともに反省できる人なんていない。大人でさえ、うまく相手に謝罪できる人なんていない。誰も彼もが、相手に対して謝罪を求めることをするのだけれど、では自分が謝罪をするときはどうなのか。心からの謝罪の言葉を述べられているだろうか。その謝罪は表面的なものではないだろうか。「頭を下げて『すいません』と言えば良いんだろう」くらいに思っているのではないだろうか。

 

 

おそらく多くの人が、心の底からではなく、表面的な謝罪にとどまっているのだと思う。車で事故ったときも、歩行中などに他人にぶつかってしまったときも、意図せず他人に不快感を与えてしまったときも、誰も彼もが心の底から「自分の不注意(もしくは勘違い)があなたに不快感を与えてしまいました。申し訳ございませんでした!」なんて思っているのだろうか。そんなことはないだろう。

 

 

 

だれも本当の意味で「反省」などできないのだ。おそらく反省とは、一人の時にできるものなのだ。デカルトの「省察」なんて本があるけれど、あれはデカルトが一人で考え抜いた本だ。他人の目、他人の存在、他人の強要があるとき、当の本人は反省など出来ない。他人を意識する時に反省など出来ないし、他人を意識してしまって、自分の見栄を意識してしまって、悔い改めることなどできないのだ。

 

 

ということは、僕たちは他人に対して反省を促すことも出来ないのだと言える。「謝罪しなさい」「反省しなさい」「『ごめんなさい』と言いなさい」という言葉を僕たちは他人に対していいがちだが、その言葉を言う僕たちの存在がある限り、その人は反省などできない、ということになる。

 

 

小売店なんて、どこか「お客様は神様」という雰囲気があるので、いまだに小売の店員に対してマウントを取るお客がいる。年配者を中心に、店員に対して知り合いでもないのに敬語を使わない人が多い。店員に対してすぐに「謝れ」とか「失礼だろ」とか「上の人間を呼べ」という客が多いのだ。

 

 

そんな、店員に対してマウントをとるような客を見ていると、「本当に謝罪ってマウントの道具でしか無いな」と思う。どうしてこういう人は「謝罪を要求する態度そのものが相手に対して失礼」ということに気づかないのだろう。

 

 

つまり僕たちは、相手に反省を促せるような存在ではないのだ。反省を相手にさせるだけの事を僕たちはしていない。「自分は悪いことをしたら謝るよ」なんて口で言う人はいるけれど、実際には上辺の謝罪だけで、心底反省している人なんていない。

 

 

反省や謝罪なんてのは、もはやタテマエ主義のフラグのようなものでしかない。自分のホンネに素直にならず、表面だけ取り繕えばオッケーのような人生観。自分を顧みずに他人にマウントをとる視野の狭い自己中。それが「反省させる」ということなのだ。

 

 

 


 

 

仕事依頼、絶賛受付中です。

 

犯罪、非行、警察関係、子育てなどに関しての記事執筆。人前で話すのも得意なので、講演依頼などもお待ちしています。下記お問い合わせフォームまたはメールにて承ります。

 


 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。

 

感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 「イライラしてはいけない」と頑張っている方々に向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」の小冊子になります。

「こうすれば思いやりを育めるよ」「思いやりって、つまりはこんなことだよ」というのを載せました。

思いやりとは、スナイパー(狙撃手)のようなものである。35,222文字。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

 


 

 

30分の無料相談を承っております。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 反省させると犯罪者になります

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP