シェイクスピアのオセローを読んで見立てることの大切さについて考えてみた〜オセロー

2020.07.26 (日)

 

「見立てる」とはどういう意味か。

 

ネットでその言葉を調べてみると、

1 見て良し悪しを決めること。また、見て物を選定すること。

2 (医者の)診断。

3 趣向。思いつき。考え。

4 和歌・俳句などで、ある物を別のものと仮に見なして表現すること。なぞらえること。

5 見送ること。見送り。

6 見た感じ。見た目。

とある。
僕がここで言いたいのは、4の「ある物を別のものと仮に見なして表現すること」だ。比喩とはある物を別のものと仮に見なして表現することだし、比喩以外の換喩の提喩、多くのレトリック表現は、ある物を別のものと仮に見なして表現することだ。
目の前にある物を、見たそのまま、事実のままに言っても面白くない。別のものに見立てて表現するから、そこにユーモアが生まれる。
たとえば家に招いた友人から自分の家を「いい家ですね」と褒められた時に、「そうなんだよ。〇千万円もしてさ」とか「そうでもないよ。結構傷んでるんだよ」なんて言っても面白くない。「いやあ、ゴキブリ屋敷だよ」と、別のものと関連付けるから、面白さというか、ひねりが加えられるのだ。
今、目の前にあるもの。今、話題にしているもの。それを遠くにあるものや、一見なんの関係もないものと仮に見なすから、話題に膨らみが生まれる。
古今東西の文豪のなかでナンバーワンは誰か。プラトンか、司馬遷か、それとも夏目漱石か。答えはウィリアム・シェイクスピアらしい。僕もよくわからないけれど、シェイクスピアこそが、文豪オブ文豪であって、現代の文章のワールド・スタンダードになっているという。
このシェイクスピアの作品は戯曲として作られたのであって、舞台栄えするように日常の言葉で作られているわけではないのだけれど、それだけに装飾された言葉が目立つ。どういう装飾なのかというと、これらもまた見立てることなのだ。
おそらく言葉による装飾とは基本、見立てることなのだろう。目の前の話題を、現実そのままに表現するのではなく、他のものと仮に見なして表現する。
「目の前の話題」というのも、仮に見なしている。「話題」とは目に見えるものではないし、「ある」ようなものではないのだけれど、目に見えて、しかも「ある」ものと仮定して「目の前の話題」という表現を使っている。
比喩をどこまで使えるか。どこまで的確に他のものに仮に見なすことができるか。どこまで想像力を広げることができるか。それが文章における装飾の基本なのだ。
オセローを読んでいて僕が気になった比喩表現は、こんなものだ。
「今度の事件は、きみと将軍との間の、いわば関節が外れてしまったというものだが、こいつはひとつ奥さんに副木を当てがってもらったらいい。全財産を賭けてもいいね、一度ひびがはいっただけに、将軍との間は前よりうまくゆくに決まっている」
悪巧みをしてキャシオーをだまそうとするイアーゴーのセリフである。人間関係を、うまく関節に見立てている。仲違いしてしまって人間関係を仲直りさせるには、両方を知っている人に間に入ってもらうのがいい。それを、骨折した関節を固定する器具に見立てているのだ。
しかも面白いのは、見立てが三重になっていること。「関節が外れる」ように人間関係は仲違いすること。「副木」のように誰かを相手に入れれば人間関係がもとに戻ること。さらに「骨折してもとに戻った関節は、骨折以前より強固になる」ように、戻った人間関係強固になること。
人間関係と関節をうまく繋いでいる。一見、なんの関係も無いかのようにな人間関係と関節。それが3つもの共通点で繋がれているのだ。
「空気のように軽いものが、嫉妬に憑かれた男には、聖書の言葉と同じ重みをもってくる」
これもイアーゴーのセリフ。イアーゴーが、自分の妻のエミリアと話してるときの言葉である。出来事の重さと空気、さらには聖書をうまく繋いでいる。ここの場面での出来事とは、「オセローがデズデモーナにあげたハンカチをキャシオーガ持っている」ことだ。
オセローは、デズデモーナとキャシオーの間柄を疑ってしまう。別になんでのない出来事も、軽かったり重かったりしてくる。重さを持ってくる。どのように重さを持ってくるのかというと、空気や聖書のように、なのだ。重さの軽い方を空気、重い方を聖書と仮に見なしている。
初めに空気と見立てておいて、その後に聖書というのが、またいい。「軽さ」と「空気」は簡単に繋がりやすいが、「重さ」と「聖書」を繋げられると「なるほどな」となる。簡単には繋がらないけれど、言われてみると「確かに聖書だ」と唸る比喩である。
「男はみんな胃袋同然、私たち女はその食べもの。がつがつ掻きこんでおきながら、お腹がくちくなれば、惜しげもなく吐き出してしまう」
これはエミリアの、デズデモーナに対するセリフである。オセローの豹変に不安がるデズデモーナに、エミリアが「そんなものですよ」と落ち着かしょうとして言った言葉。男を胃袋、女を食べものに見立てている。
これはダブルで繋がっている。「がつがつ掻きこむ」のもそのとおりだし、『惜しげもなく吐き出す」のもそのとおりである。共通点が1つだけだとそうでもないが、共通点が2つ以上だと、的確さが増してくる。「なるほど!」とか「まさに!」という感嘆が出てくる。
古今東西のナンバーワン文豪・シェイクスピアのオセローを参考に、比喩について話してみた。僕的には、レトリックとは見立てることであり、見立てのうまさがシェイクスピアがナンバーワンであることの理由なのだ。

 

 

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