比喩は道端の犬の糞になってはいけない〜日本語のレトリック

2020.06.04 (木)

 

 

小学校の子どもが作文を習い始めた時、先生の一番初めのアドバイスが、「例えを入れましょう」だった。レトリックと言えば比喩だし、比喩と言えばレトリックで、比喩はレトリックの代表なのだろう。

 

 

僕が大人になってライティングを習った時にの講師のアドバイスも、たとえ話の挿入だった。

 

 

本書「日本語のレトリック」を読むと、レトリックとは比喩と言っていいと思えるほど、比喩を紹介する割合が高い。というのも、他にも色々と反復法とか逆説法とかるのだが、それらは「普段やっていること」というイメージだ。特段、あえて「レトリックですよ」「〇〇法という名前があるんですよ」と言うほどのことでもないように思う。

 

 

小学校の作文教室のアドバイスも比喩で、社会人向けのライティングセミナーでのアドバイスを比喩なのだから、比喩というのはレトリックの代表ではあるのだけれど、じゃあ多くの人が使えているのかというと、そうでもなく、意識しなければ使えない。

 

 

現代は、以前よりも論理的な文章の需要が高まっていると言われている。職場でのレポートのような、淡々とした論理の羅列によって構成された文章。そのなかで、「〜のような〇〇」とか「〇〇は、まるで〜で」なんていうスパイスはあるとむしろ困る存在なのかもしれない。

 

 

けれど、比喩を使うと文章がウィットになる。乾いた土に水を吹きかけるように、文章に比喩を入れると、それだけで文章が膨らむ。レポートで文章を膨らませると、抽象度が高くなって曖昧になるから避けられるのだろう。

 

 

僕は文章の中で比喩を使おうとしてやっきになっていたのだけれど、この本を読むと下手な比喩のおぞましさを感じて、逆に比喩を使うのを怖くなってしまった。

 

 

「井上ひさしの『吉里吉里人』に登場する二流(あるいは三流)作家の古橋は、ほとんど無数の例を提供してくれます。」という文に続いて、古橋の作った比喩が書かれている。

 

 

「赤い飴玉のような太陽がいかにも美味しそうな光を地表に放っていた」

「手焼き煎餅のように厚い雲が突然ばりばりっとふたつに割れ、その割れ目からバナナジュースを注ぐかの如く黄金色の陽光が地上に降った」

「彼女の顔はシュークリームの表面のように凸凹しており、その唇は二房の伊予柑を横に重ねて置いたのに似ていた」

「微笑みが彼女の顔から、日向に出したアイスクリームのように素早く溶けて消え去っていった」

「竹輪の穴のようなトンネルを抜けると、そこは北国だった」

 

 

これらの比喩を見ると、二流(あるいは三流)と言われてもしょうがないと思える。確かに比喩としては理解できる。太陽が赤い飴玉のようなのも想像がつく。雲が割れるのと煎餅が割れるのも似ている。黄金色の陽光だって、バナナジュースと言われれば似ていると思える。

 

 

シュークリームの表面のようにボコボコした人の顔だってイメージできるし、伊予柑を2つ横に重ねれば唇になる。アイスクリームが溶けるのも、顔の表情が変わるのも、同じようにすうっとしている。トンネルなんてまさに竹輪だろう。

 

 

ただ、これらの比喩は浮いているのだ。どこかボテッとしていて、存在感がありすぎる。道端に落ちている犬の糞のようである。隠せばいいのに、存在感が目につく。そう考えると、あるとも気づかずに流れの中で読んでいるような、自然と読み飛ばして意識すらさせないようなものが、優れた比喩なのかもしれない。

 

 

比喩はレトリックであり、伝えたいものをうまく伝えるための技法である。それ自体が主役なわけではなく、主役は内容であり別にあるわけだ。比喩に凝っていたのでは、バント練習に重きを置く野球の練習のようなもので、面白くもない脇役を主に置いているようなものだ。

 

 

だけどそれと同時に、バント練習は野球に無くてはならない。面白くもないバント練習が、いざという所で生きてくるのである。

 

 

比喩は文章の中に溶け込まなければならない。存在感があるのでは、読んでいる最中に石につまづくようなもので、いちいち立ち止まらなければならない。気持ちよく流れるように運転したいいのに、一時停止線がありすぎては本来の運転という目的が疎かになる。

 

 

おそらく、下手な比喩だからこそ存在感が合わられすぎるのであって、うまい比喩は読み手の流れを止めないように、うまく文章の中に隠れているのだと思う。縁の下の力持ちのように、道端の下からうまく走りやすいように道に緩急をつけて盛り上げるのだ。

 

 

素人が作ったアスファルト道路なんかは、デコボコしていてうまく走れないだろう。均されていない。うまい比喩とは、それとなくいるものだ。

 

 

この本では他にも、換喩(かんゆ)の紹介が面白かった。

 

 

「下人は老婆を突き放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へ突きつけた」

 

 

実際に突きつけたのは太刀なのだけど、文章として形を与えられたのは「白い鋼の色」である。太刀の、特に白く光るイメージを読み手に伝えたいので、こういう表現になる。ぜひコレも意識して使えるようになりたいものである。

 

 

 


 

 

仕事依頼、絶賛受付中です。

 

犯罪、非行、警察関係、子育てなどに関しての記事執筆。人前で話すのも得意なので、講演依頼などもお待ちしています。下記お問い合わせフォームまたはメールにて承ります。

 


 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。

 

感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 「イライラしてはいけない」と頑張っている方々に向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」の小冊子になります。

「こうすれば思いやりを育めるよ」「思いやりって、つまりはこんなことだよ」というのを載せました。

思いやりとは、スナイパー(狙撃手)のようなものである。35,222文字。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

 


 

 

30分の無料相談を承っております。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 比喩は道端の犬の糞になってはいけない〜日本語のレトリック

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP