ながら運転はどこまでがセーフ? どこからがアウト?
今月から、運転中の携帯電話使用、いわゆる「ながら運転」への罰則強化が開始された。どういうことか。これについて、思う所をずらずらと書いてみたい。
運転中に携帯電話を使っているところを警察に見つかってしまえば、青切符を切られてしまうのだが、これまで累積点数が1点だったのが、今月から3点に。これまで反則金が普通車であれば6千円だったところが1万8千円に引き上げられたのだ。
まあ、確かにこれで運転中の携帯電話使用は、減るのではないかと思う。「ながら運転への罰則が強化されました」と宣伝されれば、嫌でもながら運転に対する警戒心が強まるだろうし、それに誰でも1万8千円と聞けば「高っ!」と思うことだろう。そんな高額を払うのは、だれでも御免被りたいはずである。
それに、普段から運転中の携帯電話使用について気をつけていて、「絶対に使わないぞ」と心に決めている人にとっては歓迎すべきことだろう。普段から気をつけている人にとっては、なんの関係もないことなのだ。とすれば、ながら運転に対する罰則強化は、歓迎こそすれ、少なくとも表面上は反対する人はいないものであろう。
ちなみに見つかれば累積点数が3点なので、過去に免許停止などの処分を受けたことがない人であれば、6点で30日間の免許停止なので、2回見つかれば免許停止という処分がくだることになる。
よく議論になるのが、というか、違反した人が逃げの一手として使うのが「少ししか見てない」「ちょっと見ただけだ」というものである。さてこれはどうなのか。厳密に言えば、少し見ただけで、ちょっと見ただけで違反になるのは仕方のないことだ。コンマ何秒、距離にして数センチでも、運転中であれば「携帯電話の使用」ということになる。
が、そこで違反として切符を切られるかどうかは、別の問題だろう。といのも、「警告」というのもあるからだ。違反であることは間違いないとしても、交通切符を切るか、それとも警告という処理にておとがめなしにするか、それはその場の警察官次第、なのである。一応、「どの程度の違反なら警告どまりで、どの程度の違反からが切符処理」という基準は警察組織内で示されているが、その基準だって曖昧なものだ。都道府県によっても、各警察署によっても、それぞれの警察官によっても、基準は曖昧である。だから、「ほんのちょっとなら警告でいいや」と思う警察官もいれば、「ほんのちょっとでも許さないぞ。切符を切ってやれ」という警察官もいるのだ。その辺は仕方のないことであろう。処理するのが人間である以上、平等を求めてもしょうがない。「運転中に携帯電話を使ったかどうか」を機械で正確に測定できるものでもないし、目視で判断する以上、判断に幅が生まれることは是認されるべきであろう。
それと、携帯電話の使用には2つの種類があって、「使用」と「注視」である。使用というのは、携帯電話を使って相手と話をすること。注視というのは、ディスプレーを見ることである。
まず使用であるが、音声通話機能を使っているとアウト。使っていなければセーフである。耳に当てていても、録音を聞いていた、ということであればセーフということになる。それと、手に持っての通話が絶対条件になるので、携帯電話をハンドル部分やエアコンの吹出口に引っかけるような道具をオートバックスなんかで買ってつけおけば、「違反にはならない」のだ。
注視というのは、ディスプレーを見ることで、もちろん「ちょこっと時間を確認しただけ」でもアウトである。ただし、何も表示されていない真っ黒い画面を見ただけではセーフである。注視も使用と同様、手に持っての注視がアウトなので、ハンドルやエアコンの吹出口に引っ掛けておいてのディスプレーの注視はセーフである。
それと使用にしろ注視にしろ、運転中がアウトなのである。信号待ち、路肩に停車時、などの車が動いていない状態での携帯電話はセーフになる。
で、「果たして警察官って見間違うの?」ということについてであるが、私も取締りをしていた経験上、断言できるが、見間違いはない。もう一度言おう、見間違いはない。交通取締りをしていて、「あっ、今のはわからないな」という場合は確かにある。が、そんなときは車を止めたりはしない。「携帯電話使っていました?」なんて聞いて素直に「はい、使っていました」という答えは返ってこないので、自身をもって断言できるときしか運転手に声をかけないのだ。
さっきも言ったように、基準には幅がる。ほんの数センチの携帯電話使用で切符を切る警察官もいるし、数メートル使用しても声を掛けない警察官もいるだろう。けれど、声をかける相手に対して曖昧なままで声をかけることはない。交通取締りにおいて「運転手に声をかける」ということは、自身をもって「携帯電話違反だ!」と断言できるときだけなのである。だからもしも、「自分は停止中の使用なのに切符を切られた」とか「切符を切られたが、自分が持っていたのは携帯電話ではなくて缶コーヒーだ」とでも言う人がいるならば、それは警察官ではなく、自分の勘違いだろう。
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