イライラを抑える思考方法

2019.12.28 (土)

言葉とは、差異のシステムである。例えば今、目の前にテーブルがあって、その上に本と、スマホと、パソコンが置かれている。この白色の紙でできた物が「本」であり、黒い手のひらサイズの物がスマホであり、グレーのアルミ製の物がパソコンである。

 

 

白色の紙でできた物を「本」と呼び、黒色手のひらサイズの物を「スマホ」と呼び、グレーのアルミ製の物を「パソコン」と呼んでいる。言葉とは、ラベルのようなものだと考えていないだろうか。白色の紙でできた物に貼られた「本」というラベル、黒色手のひらサイズの物に貼られた「スマホ」というラベル、グレーのアルミ製の物に貼られた「パソコン」というラベル。そんなものだと思っていないだろうか。物の名前だけではない、徒歩で早く移動することを「走る」と呼び、人に言葉を投げかけることを「話す」と呼び、目で文字を追うことを「読む」と呼ぶ。

 

 

初めに、「もの」があって、それに対してつけられたのが言葉だと思っていないだろうか。僕たちが存在するしないに関わらず、テーブルの上には本とスマホとパソコンがあって、たまたまそれらを認識できる僕が「ここ」にいるから、それらを「本」とか「スマホ」とか「パソコン」と呼んでいる、などと思っていないだろうか。それは本当だろうか。たとえば、テーブルの上にある本とスマホとパソコン。これらは、僕がここからいなくなっても、ここに存在するのだろうか。僕や、人間という種が日本から突然いなくなっても、このテーブルの上に本とスマホとパソコンは存在するのだろうか。

 

 

「あるに決まっているじゃないか」と思ったあなた。その考えはもしかしたら、古いのかもしれない。というのも、近代以降、「言葉とは差異のシステムである」という考えが広がったからだ。

 

 

よく「どうして気にならないの!?」と、家族や同僚に対して怒ることはないだろうか。自分が気にしていることが、相手には気にならない。食器をいつもと違う場所に入れる。床が汚れていても掃除をしない。部屋を散らかしておく。それらは、相手には見えていないのだ。食器を違う場所にいれること、床が汚れていること、部屋が散らかっていること。それらは事実なようで、事実ではない。事実であると同時に、事実ではないのだ。思い込みでしかない。あなたが「散らかっている」と思うから散らかっているし、「汚れている」と思うから汚れている。

 

 

「だって実際に散らかっているし、汚れているだろう」と思うかもしれない。が、その物理的に見えることすら、思い込みなのだ。

 

 

例えば、僕たち日本人はウサギをウサギとしか言わないが、アメリカでは日本語のウサギに対する言葉が二種類あり、ラビットとヘアーだ。ラビットは、イメージとしては、白色で、家庭で飼われているウサギ。ヘアーは、茶色で、足が長い野うさぎである。日本人である僕たちには、ラビットだろうとヘアーだろうと、そんな違いは大した違いには思えないかもしれない。白色だろうと茶色だろうと。足が短かろうと長かろうと、「どっちも要はウサギでしょ」と思うかもしれない。ところが、アメリカ人にとっては、そこはどっちでもよくないものなのだ。どっちでもよくない認識なのだ。

 

 

そこは、携帯電話とスマホを区別できる人もいるし、区別できない人もいるようなものだ。ボクは今アラフォーで、携帯電話とスマホは別のものだと思っている。が、おそらく80才や90才の年配の人にとっては、スマホも携帯電話(いわゆるガラケー)も一緒に思えるだろう。違いを区別できないのだ。だから、「どっちも携帯電話でしょ?」なのだ。ゆえに「スマホ」という言葉は、彼らには存在しない。

 

 

「言葉がるある」ということは、「それらを区別できる」ということであり、区別できるということではじめて、そららが存在しているのだ。僕たち日本人にとっては、ラビットもヘアーも存在しない。存在しているのはウサギだけである。80才や90才の人にとっては、スマホは存在しない。存在しているのは携帯電話だけである。それは、「言葉がある」ということであり、「区別できる」ということであり、「認識できる」ということであり、「存在している」ということなのだ。

 

 

犯罪と非行を防ぐには、イライラせずに、優しい性格になることが必要である。イライラするのは、自己中だからである。実際にはフラットなのに、「自分の場合は特別だ」と考えるから、イライラを許してしまうのである。「自分の身に起こったことは、怒っても仕方のないことである」という、出来事への特別視が、イライラを誘発するのである。

 

 

本来であれば、何事もフラットなのだ。特別なことは、何一つ無い。自分も含めて身の回り、僕たちがいるこの世界、何一つ「これ」というものはないのが、本当の世界なのだろう。おそらく「混沌」という言葉が一番合うのだろうと思う。この世界を表すのは、混沌なのだ。グツグツと煮えたぎる鍋のように、絶えず形が変化する煙のように、ゆらぎ続けて一定でない炎のように。液体か個体かわからない。気体かどうかすらもわからない状態が、絶えず煙や炎のようにゆらぎ変化し続けているのが、この世界の本当の姿なのだ。

 

 

ゆえに、切れ目は一切ない。「これはこうした方が良い」「あの人はこうするべきだ」「常識的にはこうである」など、すべて一切の線は本来、無いものなのだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

タイトルは、「人に優しくなれる発想法」。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: イライラを抑える思考方法

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP