不安とはわんこそばだから。警察が責任を負わされる問題

2020.10.31 (土)

伊藤健太郎氏のひき逃げがニュースを賑わせている。

 

 

車を運転中にバイクに接触しておきながら、現場から走り去ってしまったという。

 

 

決して彼を擁護するつもりではないけれど、事故を起こしておいてその場から逃げることは誰でも考えることだ。車を何十年と運転していれば、交通事故に合うことは必ずと言っていいほど経験するだろう。

 

 

多くの人は「あっ、やってしまった」と事故を認知して、相手がいれば相手の負傷状況なんかを確認して、110番通報して、それから現場に来た警察官に自己処理をしてもらうことになる。

 

 

その事故を認知して、警察から自己処理をしてもらうどこかの過程で、「これはもう、誤魔化せない」と観念する瞬間があるはずだ。つまり、「もう誤魔化せない」と観念するまでは、「まだ逃げられるんじゃないか」という頭があるものだ。

 

 

カッコいい車は運転者を陶酔させるし、使い勝手のいい車は日常に入り込んで生活を支えてくれる。車や運転に事故はつきものだけど、運転している中では事故のない生活が当たり前だと思ってしまう。運転していると「事故なんて馬鹿がやることさ」とでも言わんばかりに遠い世界のことのように思えてしまう。

 

 

そんな時に慢心が出て来る。運転中にスマホを操作したり、一時停止線を減速だけで通過したり、後ろからあおったり。で、慢心から運転が雑になり、安全確認が不徹底になり、交通事故に至る。

 

 

運転に陶酔したり、運転が日常に入り込んでいるわけだから、事故を起こした瞬間は事故を信じられたものじゃない。都合のいいようにも解釈したくなる。「これって事故にならないんじゃない?」「まだなかったことにできるんじゃない?」と。

 

 

運転手に救護申告の義務を課しているのは、道路交通法の第72条である。

「交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。」

 

 

伊藤健太郎氏が起こした事故のネットニュースコメント欄では「事故を起こしておいて逃げるなんて論外」とか「事故ったら相手を助けるのが当たり前だろう」という記事がいくつも書かれている。さも「自分は事故を起こしても逃げない」とでもいいたげなコメントが目につく。

 

 

けれど、誰でも逃げたくなるものなのだ。事故を起こした自分を信じられないものなのだ。警察に事故処理してもらっている人間は確かに当たり前の事をしているようだけれど、事故を認知してからの一連の経過のどこかで、「これはもうダメだ」と観念した人間なのだ。事故を認知したその瞬間から一度も逃げることを考えなかった者などいない。モチに海苔がつきもなのように。

 

 

「救護申告の義務」を怠るのが当て逃げ、あるいはひき逃げである。社会で仕事をしていると、自分の「好き嫌い」あるいは「求める求めない」に関わらず義務を追うことになる。似たような言葉に責任というのもあるけれど、両者はどう違うのか。

 

 

「責任とは義務を果たさなかった場合に課される責め」というのがわかりやすいと思う。責任を取るのは、義務を果たせなかった場合に負わされるものだ。

 

 

ところで、「警察官の仕事の範囲はどこまでなのだろう」とよく疑問に思う。110番通報をしたら、警察はどの程度のことまでやってくれるのだろう。警察の仕事の範囲を定めたものは、警察法二条だと言われている。そこにはこう書かれている。

 

 

「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」

 

 

ざっくりとした曖昧な言い方ではあるけれど、個人や公共の安全と秩序を守ることが仕事の範囲のようだ。この仕事の範囲が曖昧であるばかりに、「どこまでやらなければならないのか」あるいは「どこまでやってもらえるのか」の認識の違いが時としてせめぎ合うことになる。

 

 

せめぎ合いのテーマとして多いのが、あらかじめ警察官を配置しておくことである。たとえば

「通学でいつも通る道に、変な目で見てくる男の人がいるので、パトロールしてください」

「最近、自動販売機がこの辺でよく壊されるので見回ってください」

など。

 

 

この辺りの要望であれば、警察官の仕事の範囲内としてまだ見ることができる。警察の仕事は事前と事後に別れていて、事件や事故が発生する前に予防という意味ですることもある。また処方薬のように事件や事故が発生した後に行うのも仕事だと思える。

 

 

事件や事故が発生してから行う処方薬としても仕事には、あまり曖昧なところがない。実際に起きたことだから、警察が取り扱うのは当然のように思えるからだ。

 

 

問題は予防としての警察の仕事だ。まだ発生もしていない事件や事故のために、予防という意味で、警察はどこまで仕事をするべきなのだろう。またどこまで警察に頼めるのだろう。

 

 

「パトロール」とか「見回り」という言葉があるように、完全に予防という意味の仕事が、警察にないわけではない。予防もしっかりとした警察の仕事である。けれど、この予防が際限なく警察の仕事なのかというと、そういうわけでもないだろう。

 

 

というのも、予防というのはいくらやっても切りがないからだ。予防は不安に対する措置である。「攻めてくるかもしれない」「危害をくわえられるかもしれない」という不安に対して、盾を置くように防御を敷くのが予防である。

 

 

ところが不安というのは、煙のようにいくらでも出てきてしまう。いくら措置をとっても、不安だけはなくなることがない。不安を消そうとして予防しようとすると、際限がなくなってしまう。予防措置として警察を使おうとすると、警察はいくらあっても足りないことになる。

 

 

夫婦喧嘩をしない夫婦はいないと思う。けど配偶者からの暴力が不安だからといって家庭内に警察をあらかじめ呼んでおく夫婦はいない。

 

 

車を運転していれば交通事故に合う可能性がたかい。けれど交通事故が心配だからといって、車にあらかじめ警察官を乗せてから運転するドライバーはいない。

 

 

家を空き家にしていればドロボーに入られやすい。でもだからといって、外出するたびに警察官に来てもらう人はいない。

 

 

予防薬という意味での警察の仕事は範囲が難しい。不安は際限がないので、措置しても措置しても出てくる。食っても食っても出てくるわんこそばと同じ。

 

 


 

 

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