子どもの虐待をなくすためには。怒りについて

2020.02.26 (水)

このホームページのコラムでもよく書くんですが、警察っていうのは、怒りと多分に接点のある職業なんです。「警察官は犯罪を扱う仕事」という風に世間的には思われていて、確かにそのとおりではあるんですけど、犯罪の扱いが仕事の大部分を占めているかというと、そうでもないんです。

 

 

犯罪というのは、警察官の仕事の中でごくごく一部でしか無いんです。ではあとの大部分は何なのか。犯罪ではなかったら、警察官は普段、何の仕事をしているんだ、というと、怒っている人の話を聞いているときが多いと思います。

 

 

警察官っていうのは、怒りの感情を持っている人と接することが多い職業なんです。警察官が行く現場には大抵、怒っている人がいます。

 

 

この怒りの感情の中から生まれるのが犯罪です。ケンカや言い争いなんてのは典型で、ケンカや言い争いの中でも基準点を越えたものが、犯罪になります。殴ったり胸ぐらをつかんだりして、その上に被害者感情が高くて、さらに世論の後押しなんかもあって。そうやって、ケンカや言い争いの土台があって、その上に犯罪があるイメージです。

 

 

虐待にも怒りが伴います。虐待なんて言うと、笑いながら、快楽を感じながら子どもに暴力を振るう親のイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。そこにあるのは、怒りなんです。親の「どうして私の気持ちをわかってくれないの」とか、「あんたの為に言ってるのよ」とか、「私の言うことを聞きなさい」っていう思いが基準越えしたのが、虐待現場の怒りです。

 

 

だから、初めから「子どもに暴力を振るおう」と思っているわけではない。むしろ逆で、子どもが自分の希望とは違う行動をとったときや、子どもが自分の期待にまで至らなかったときや、子どもの言動を許せなくなった時に、虐待が発生します。

 

 

虐待っていうのは初めから虐待があるわけではなくて、その前段階として、子どもの心に寄り添う段階があります。その期待や希望や方向性が親である自分とズレた時に、怒りが湧いてきて、一方的な虐待になるんです。

 

 

「怒りとは、不正に対する復讐の欲望である」とは、古代ローマの哲学者であるセネカの言葉ですが、怒りが湧いてくるには、その前にまず不正があるんです。注意するべきなのは、怒っている人(虐待の現場でいう親)が感じる不正は、極めて主観的なものだとうことです。親としては客観的に見て「不正だ」と思うでしょうが、そんなことはありません。「客観的な不正だ」と思うのは、思い違いです。

 

 

親は子どもに対して過度に期待してしまうんです。自分の好意の対象に対して、自分と同じような価値判断を持っていると勘違いしてしまう。例えば、好きなアイドルとか芸能人がいるとすると、勝手に自分の中で「こんな性格なんだろうな」とか「こんな趣味なんだろうな」と想像してしまうと思うんです。で、いざ自分の想像と違う言動をしたことがニュースや文春なんかで報じられると、「裏切られた」と感じるんです。

 

 

親の子どもに対する虐待もこれと同じで、「子どもに裏切られた(不正された)」と感じるから、怒りが湧いてきます。もしも「何が正義で何が不正か」の基準が緩かったら、復習の欲望はそもそも湧いてきません。「子どもも自分と同じ判断基準を持っているだろう」とか「自分の判断基準が、世の中の誰もが持っている判断基準だろう」と暗に思っているから、子どもの言動に対して「不正だ」と感じるのです。

 

 

どうすれば「不正だ」と感じることを無くすことができるのでしょうか。おそらく復習の欲望は、侵された不正が大きければ大きいだけ湧き上がることでしょう。不正を感じた後に復習の欲望が湧いてくるのは、侵害された正義が大きければ大きいほど強くなります。不正と正義の基準・分かれ目が緩ければ緩いほど、復習の欲望は小さくなるのです。

 

 

ということは、やはり不正と正義の判断基準を緩くしなければなりません。

 

 

どうすれば不正と正義の判断基準を緩くできるのかというと、まずは自分の判断基準が決して客観的なものではないことを知ることではないでしょうか。「自分がダメだと思うことでも、それっていうのは見方一つでどうでもよくなったり、むしろ良いことにもなる」っていうことを知ることです。

 

 

「母親が小学三年生の子どもに対して暴力を振るっている」という通報があって現場に行った事があります。母親が子どもに暴力を振るっていたかどうかはわからなかったのですが、間違いなく、その現場には怒りがありました。母親は子どもに対して怒りまくっていたのです。

 

 

というのも、子どもがなかなか学校に行かず、さらに学校の宿題をしないでゲームのスウィッチばかりしている、というのが原因でした。母親としては子供に対して、登校して、宿題もして、もっと学校に対して積極的であってほしいのに、子どもがそうでもないから母親は怒っていたのです。

 

 

母親にとって、学校に行かなかったり、宿題をしないのは不正なわけです。確かに一般的に見れば学校に行かなかったり宿題をしないのは怠惰であって、もっと学校に対して一生懸命になるべきです。そうすれば成績もよくなるでしょうし、人間関係もできるでしょうし。

 

 

でも僕から見れば、母親の「学校や宿題に消極的なこと」を不正だと判断する基準を、もっと緩めるべきだと思いました。なぜかといと、この家庭が最近、フィリピンから越してきた家族だったからです。おそらく子どもにとって、学校は居づらい場所なのでしょう。

 

 

子供にとっては馴染みのある土地を離れて、慣れない環境に飛び込む形になったわけですから、学校は避けたいものなのでしょう。ですが母親にとってみれば、子どもが小学校に慣れていないからこそ、もっと積極的になってほしかったのだと思います。毎日登校して、毎日宿題をして。そうすれば学校に慣れて、成績も上がるでしょうし、友人もできて楽しい人生を送れると考えたのでしょう。

 

 

古代ローマの哲学者セネカは、「怒りの原因となった出来事よりも、怒りそのものの方が、どれほど多くを失わせただろう」と述べています。「怒りの原因になったものが正義かそれとも不正か」よりも、怒ることそのもののほうが、忌むべきなのです。なぜなら、怒りの原因になった出来事を不正だと感じるのは、思い込み・勘違いでしか無いのですから。

 

 

学校に対して消極的な行動は、母親にとってみれば不正でも、子どもからすれば正義なのでしょう。フィリピンから来て間がなく、当然、学校の何もかもが面白くないのでしょう。不登校をしてゲームに逃げたくなる気持ちもわかります。

 

 

自分の正義と不正の判断基準を疑うことです。「これは許せない」「あれは間違っている」「コレはない」なんて考えが頭に浮かんだ(不正を感じた)時に、同時に、「この『不正だ』と感じている自分の方が間違っているのではないか」と思うことです。「『不正だ』と感じている自分には見えていないだけで、自分が見えている姿の他に、本当の姿を別に持っているのではないか」と不正か正義かの基準を緩める事が、怒りを防ぎ、虐待をなくします。

 

 

 

 

 


 

 

 

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