本の著者になるとは(その1)
本を出版することになった。著者として、である。発売は10月10日の予定。だから、もう原稿は仕上がっている。書く段階は終わった。ここでは、本を執筆する、ということについて記しておこうと思う。初めの経験で知った、著者として本を書く、ということについて、である。
まず、常々思うのだが、書くことは、走ることに似ている。机上で、部屋の中で、静かに作業する書くことと、外で、足を動かしながら、動的な書くことと、何が似ているのか。それは、苦しいし気持ちがいいのだ。
私は走ることが苦手だ。子どもの頃からだが、特に長距離を走ることが楽しくないのだ。短距離は楽しい。だって風のようになれるって、気持ちがいいじゃないか。けれど、短距離とは違う筋肉を使って、違う肺の使い方をする長距離という種目は、どうも体に合わない。呼吸は苦しくなるし、体は億劫になるし、それが何分も続くのだ。誰だって嫌であろう。
でも、多くの人が長距離走ることや、ランニングを趣味としている。ランニングは運動の基本だと思う。どんな種目のスポーツでも、初めはランニングから入るだろうし。東京で来年、オリンピックが開催されるとあって、ランニングを趣味にしている人も増えたのだろう。それに加えて健康ブームだし。体を動かした方が健康にいいというのは、医者でなくとも生きていれば体感的にわかる。そりゃあ、椅子に座ってダラダラしているより、走って汗をかいた方が体にとっていいことなのだろう。
基本、ランニングは辛い。おそらく500メートルくらい、走ったところから、徐々に苦しさが出てくる。普段とは違う肺の使い方を求められるし、足の筋肉の使い方を求められる。なのに、なぜみんなランニングをするのか。苦しいのに、なぜ多くの人がランニングをしたがるのか。それは、気持ちがいいし、その方が結果的にいいことが体に訪れると分かっているからだ。
走った後の爽快感だろう。汗をかいて、疲れが回復していく。その気持ち良さがあるのだろう。そのための前半の我慢なのだ。それでもって、走った後は体が強くなるからだろう。長期的に見て、体重もセーブできるし、健康的な体を作ることができる。
苦しさを抜けた後の、爽快感。それと、結果的なメリットである。これは、書くことにも言えることだ。苦しさを抜けた後の、爽快感。それと、結果的なメリット。それは、書くことにも言える、二つの世界の共通点なのだ。
書くことは、基本的に苦しい。難しいからだ。普段、だらだら生きていたのでは使わない脳みその使い方をするのだと思う。書くには書くだけのネタが頭になければならないのだが、ダラダラ生きていたのでは、どんなに唸ってもネタは作られない。意見を言うには、元となる意見が頭の中になければならないのだ。だから考えるのだが、その出てきた考えが厄介だ。「これってどうなの?」「稚拙じゃないの?」「受け売りじゃないの?」「よく言われることで、オリジナリティなんかないよね?」そんな言葉が聞こえてきてしまうのだ。
そんな言葉に打ち勝ってこそ、意見や書くネタが頭の中に貯蔵されていく。で、今度はそれを文章にしなければならないと。頭の中にあるモヤモヤしたものを、文字としてはっきりと一つ一つ変消させていくのだ。ドロドロの金属を、金型に流して形を成していく作業だろうか。これがまた難しい。と言うのも、このドロドロしたものが、目に見えないし手で触れないからだ。うまく形づけれているのか。流し込んだ後の金型を見ると、どうもさっきのドロドロした金属と質が違っているように見え、やり直す作業が何回もある。それに、金型に流し込んでみると、どうも量が足りないことがよくある。元々の量が少ないのか、それとも金型に流し込んでいく過程で、うまく流し込めずに落としているのか。
だから、基本的に書くことは苦しいのだ。頭の中のモヤモヤを文字として書き起こすことは、頭にとって苦しさなのだ。で、その苦しさを抜けて先にあるのが、「ハイ」である。ランナーズハイならぬ、ライターズハイである。おそらくランニングでも、無心で体や足を動かし続けている自分を眺めている瞬間があるだろう。そんな瞬間である。
無心でキーボードを指がタッチしていく。指が勝手に動く、とでも言ってもいいくらいの超高速で、脳みその中身のネタを変換していく。そんな瞬間はたまらないのだ。いわゆる、ゾーンに入っているのだと思う。ランニングでも、そんな時はいい体の使い方をしているのではないか。雑念を捨てて、無心で走る瞬間。その瞬間が持続することが、蘭人の爽快感だろう。それは、ライティングでも同じなのだ。手動で意思を持って「書こう」としていたものが、ゾーンに入った途端に、自動に変わる。いつの間にか、手動から児童に切り替わっている。工場の中の自動で動くロボットが次々と商品を作り出しているように、次々と指が文字を作り出していく。その材料は、常に脳から指に向かって流され続けるのだ。この様子を、一歩上からもう一人の自分が見ている。この瞬間をやりたくて、経験したくて、書いてるようなものだ。
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