本の著者になるとは(その2)

2019.10.02 (水)

それと、書いた後の自分の成長具合。ランニングはやった後に体の健康を感じると思う。それもライティングと同じで、書いた後は成長を感じるのだ。世界が広がる感じだ。もちろん、想像の中で。書いていたテーマについて、あるいはその周辺のテーマについて。「自分はこんな風に思っていたのか」「あ、でもこうすると解決策が出るんじゃないか」「自分だったらこうするな」という自分の意見が確立されるのだ。これを見込めるから、途中の苦しさも耐えることができる。この成長感が分かっているから、途中の苦しさが期待でしかないのだ。

 

 

書くことの長いバージョンである著者とは、走ることでいえばマラソンのようなものだろう。苦しさも、ランニングよりもずっとある。準備だってしなければならない。周りと、周囲の人と合わせなけらばならないことも出てくる。そんな沈み込む作業があるから、後で出てくる爽快感もまた大きいのだ。それに、今度は達成感も出てくる。マラソンでも「よく、こんな長い距離を走れたなあ」と言う達成感があるだろう。難しいこと、優しいことではないことをやりきった後に、達成感があるだろう。それと同じことが、著者として書いた後に訪れた。約7万字。もしかしたら「7万字で少なくね?」と思う人もいるかもしれない。けれど、それでも7万字である。

 

 

これを一貫したことで通すのが難しい。途中でスタイルを変えたくなる。人間なのだから、絶えず違う考えが頭に浮かんでは消えていく。長い目で見てもそうだ。だから、もしかしたら短時間で終わらせるのがいいのかもしれない。短時間で数万字を書ききるのが理想なのかもしれない。出ないと、書いている途中で考えが変わってしまう。まあそれを防ぐための企画書なのかな、とも思う。はじめに各章や各項の内容を決めるのだから。そこで、「ここのまとまりでは何を書くのか」をはっきりさせておけば、考えがぶれることを、完全ではないにせよ、ある程度防いでくれる。この、企画書を作ることのような、予めの作業が著者として書くことの「準備」だ。

 

 

それに、準備としていえば、周りと合わせることも出てくる。マラソンも、一人ではできない。一人では、ただ長距離を走っているだけで、それはマラソンとは言えないだろう。ちゃんとしたマラソンをするには他の人と合わせることが必要で、ちゃんとして書くには、それなりの合わせることが必要なのだ。書くことの場合、合わせることの窓口は編集者になるだろう。一人ではできない、共同作業なのだ。

 

 

で、この著者になるとは、やはり武器になるのだ。人から選ばれるための目を惹く言葉が、ここから生まれることになる。人間は外面ではない。内面がなければ、人間として評価はされない。けれど、それでもどこから入るのかと言えば、まずは見た目から入るしかないのだ。人と会って、飛び込んでくるのは見た目しかないだろう。見た目の後に、遅れてやってくるのが内面への評価だ。内面への評価は、見た目という入り口を通った後にやってくるのではないだろうか。見た目の最低ラインをクリアした者が、内面を評価される段階に回ることができる。就職やオーディションなどの選考でも同じだろう。具体的なところから入って、その後で抽象的なところでの選考が待っている。

 

 

その見た目に相当するものが、この著者としての肩書になる。「本を一冊書いた」「本という体裁を撮ったものを書くだけの実績がある」なのだ。「どこどこのマラソン大会に出場した」「42キロを完走できた」「マラソンを完走するだけの体力がある」という肩書。この肩書が、武器になるのだと思う。大きな入り口になるのではないか。強力な入り口になるのではないか。ディズニーランドの、入り口のように、その入り口に集まる者を魅了して、「中に入りたい」と思わせてくれるようになるのではないか。

 

 

だいたい、多くの人が著者としての経験がない。この武器を持っていない。得体のしれいない物を持っているということは、持っていない人にとって興味の対象になるだろう。

 

 

ただ、不安もある。この本が、世の中で受け入れられるのか、という不安だ。この武器が世の中に通じるのか、でもいい。世の中に通じなくても、武器と違って実際に体を傷つけられるわけではない。戦いの果てに命を落とすこともない。そこは姿勢でカバーできる。「これが世の中に役立つことなんですよ」と姿勢を正していること。自分の書いた本に絶対の自信を持っていること。そんな姿勢が必要なのではないか。たとえ、初めの方は受け入れられることがなされなくても、そんな著者が自信を持つことで、世の中を突破できるのではないか。

 

 

タイトルは、「人に優しくなれる発想法」である。副タイトル(?)として「子育て 職場・上司 対人関係のイライラを解消して」とある。続けて「子育て 職場・上司 対人関係のイライラを解消して人に優しくなれる発想法」というところだ。

 

 

この本、表紙の下の方に「イライラは良くないし、できればイライラしないで生きたい」とあるが、このコピーを選んだ編集者は「さすがだ」と思う。確かにこのコピーは、私が本文の中で書いたものだけれど、それほど意識して書いたものではなかった。「なんとなく」という文章の流れの中で出てきたコピーだ。けれど、こうして改めて一つ抜き出されると、どこかいい言葉のように思えるし、何か自分の言いたかったことが、このコピーに集約されているようにも思える。目の付け所が素晴らしい、ということなのだろう。

 

本の著者になるとは(その1)

 


 

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