子どもの非行と、酸っぱいブドウの法則の関係とは
1 不良を擁護する意見
私が「不良は良くない。」とか「悪ぶるのはいけない」というと、それは偏見だと返ってくることがあります。
「悪ぶる時期があっても、それは人生にはプラスになる」とか「不良グループの中心人物は芯がある」などと、悪者やチンピラを擁護する意見です。
ですが私は、悪ぶったり、チンピラに憧れたり、不良っぽく振舞ったりする行為は、総じて受け入れられません。どんなにそれらの行為にプラスの面があろうと、「悪である」「チンピラである」というだけで、責められて当然だと思うからです。
たとえ不良であることが後々の人生でプラスになろうと、今現在、不良であることが非難されてしかるべきなのです。あとでその者が出世したり、人間的によくなったとしても、不良をやっている今現在がすでにマイナスです。それは、後々のプラスの面で穴埋めできるものではありません。
2 酸っぱいブドウの法則
「酸っぱいブドウの法則」をご存知でしょうか。私は、不良やチンピラを擁護する意見が、酸っぱいブドウの法則と一緒だと思うのです。酸っぱいブドウの法則とは心理学の法則で、イソップ物語にある物語から名付けられた法則です。
キツネが木の枝に実ったおいしそうなブドウを見つけ、食べようとして跳び上がります。ブドウは高い所にあり、何度跳んでも届きません。するとキツネは怒りと悔しさで、「どうせこのブドウは、酸っぱくてまずいに決まっているさ」と、食べられなかったことを正当化するのです。
キツネは何度も飛び上がってブドウを取ろうとしましたが、キツネ自身にジャンプ力がなく、ブドウまで手が届きませんでした。キツネには自分を守るために、「あのブドウはどうせ酸っぱくて不味いに違いない。取れなくて正解だ。」と負け惜しみの心理が湧いてくるのです。それが酸っぱいブドウの法則です。
ブドウに手が届かない理由は、「ジャンプ力が足りない」というキツネ自身の弱さ故です。しかし自分の弱い部分を認めることができず強がりを持ち出してしまう、という心理です。
3 子どもの非行と酸っぱいブドウの法則
悪者やチンピラを擁護する人たちにも、酸っぱいブドウの法則が当てはなります。
初めは、悪者やチンピラに対する憧れから始まります。女性にこのような気持ちがあるのかどうかは分かりませんが、少なくとも男性にはこのような心理が間違いなくあるはずです。男性ならば「強くありたい」と思って当然なのです。
「本当は自分もあんな風に傍若無人に振る舞いたい。」
「自分にもあんな強さが欲しい」
ですが現実的に、そのように振る舞うことはできません。傍若無人に強さをアピールすることはあまりにも自分勝手で、社会に反する行為だとする風潮があるからです。ですから今度は非難の気持ちが湧いてきます。彼らの目には、悪者やチンピラの行為は迷惑だと写るはずです。
「自分があんな風になれないなら、そのような存在は認めたくない。」
「本当は注意する側に回って、自分の目の前での目に余る行為をやめさせたい。」
しかし直接非難することすら、現実的にはできないのです。
「だけどできない。」
そこで、酸っぱいブドウの法則です、悪者のように強者になることもできず、それを注意することもできない。そんな弱い自分を認めたくない心理は、自分を守ろうと負け惜しみを持ち出します。
「悪ぶることだって必要じゃないか」「不良っぽく振る舞うことも、後々プラスに転ずるさ」
悪者やチンピラであることを擁護し、悔しい自分の気持ちを守るのです。
酸っぱいブドウの法則は、仕方のないものです。負け惜しみを言ったり、強がりが出てくることに、非難される言われはありません。
ですが、その心理は自分を守るための防御本能であることを理解しておく必要があります。弱い自分を認めたくないがために出てきた、表面的な仮初めの心理なのです。
悪者やチンピラのような反社会的な行為は許されるものではありません。それは、プラスの面があるからといって、決して穴埋めできるものではないのです。
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