子どもの主体性を育てる、という矛盾
子育てにおいて「子どもの主体性を育てる」とか、「自分らしさを育む」とか、「自由を与える」とか、これらって矛盾してる言葉ですよね。
「主体性」という言葉を代表して取り上げますけど、確かに主体性って重要だと思います。どの子育て本を開いても、最初の方に出てきます。本っていうのは主に著者の言いたいこと順に各章が構成されているので、いつも最初の方に出てくる主体性に関する記述は、著者が大きく関心を寄せていて読者に最も伝えたことなのだと思います。
子どもが主体性を持つことは、子育ての目標でもあります。子どもの独立が子育てのゴールであることを考えると、自分で決められる主体性を子どもが持たなければ子育てがゴールに至ったとは考えられません。子どもが親の手を離れて、いずれ先に死ぬであろう親の監護がなくても社会を渡って行ける力をつけてはじめて、子どもは一人前になるのでしょう。
ですが「主体性」というのは、親が子どもに与えようとしても、本来できないものです。だって矛盾してますよね、「主体性を育てる」っていう言葉が。「人工的に自然発生させる」みたいな。「本来、勝手に出てくるものを、わざわざ外部から手を加えてやる」みたいな。
だから、基本的に主体性を外部から手を加えて育むことはできないのでしょう。歯がゆいですが、周りの大人は待つことしかできないはずです。人工的に手を加えれば、そこから出てくるのは主体性ではないはずです。出てきたとしても薄い主体性です。本来の主体性とは違い、表面に主体性に似せた塗料が塗ってあるようなフェイクです。
「主体性を育てる」にだまされないことです。主体性は、外部から手を加えて出てくるものではありません。むしろ手を加えないことです。周りの親にできることと言えば、待つこと、見ていること、それと手を加えようとする自分を抑えること、くらいでしょう。
手を加えて出てきた主体性は、人工物でしかありません。それは本来の主体性とは別のものです。親向けに主体性というお面をつけられた偽物です。そこの芯に主体性はありません。人工物の主体性を見て、親としては安心はするかもしれませんが、子どもにとっては偽物をつかまされたようなものです。子どもにとって社会を生きる武器になるかと言えば、怪しいものです。
自然に出てくるから「主体性」なのです。自分の内部、心の奥、芯となる部分から湧き上がる思いを外から引っ張っては、主体性にはならないでしょう。「主体性を育てる」ことはできないのです。
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