「子どもがいうことを聞いてくれない」とか「子どもが悪いことばかりする」の解決には、距離を置くのがいい
「子どもがいうことを聞いてくれない」とか「子どもが悪いことばかりする」ということで悩んでいたり苦しんでいるのなら、子どもと距離を置くことをオススメする。
悩みや苦しみは大抵、対象との距離が近いことが原因にある。悩みや苦しみには、それを発している対象がある。無から悩みや苦しみを受けることはなく、「何か」があるから悩みや苦しみを感じる。大抵、その「何か」とは「誰か」であり、悩みや苦しみの正体は「誰か」との相対的関係にあることが多い。
悩みや苦しみの正体とは人間関係なのだ。
で、この人間関係の問題は、距離が近いことが原因であることが多い。
たとえばパワハラで悩んでいたとしよう。あなたは毎日毎日、上司から人間的にとても耐えられないようなしごきを与えられている。人格の否定にもつながるよう言葉を浴びせられて、毎日が苦しい。
「きちんと仕事は進んでいるのか?」といつも見張られ、書類を提出すれば「遅い!」だの「内容が悪い!」だの指摘され、さらには「友人関係はどうなっているんだ」だの「借財関係はどうなっているんだ」だの私的領域にも踏み込まれる。
もしもこんな話を友人に話したならば、その友人はなんと答えるだろうか。その友人はおそらく「そんな会社、やめちゃえばいいじゃん」と答えるだろう。
あなたがパワハラを受けている当事者でなくともいい。逆の立場も考えてみよう。もしも友人から「毎日毎日、パワハラを受けて困っている」という相談をされたらどうだろう。あなたは「そんな会社、やめちゃえばいいじゃん」というアドバイスをしないだろうか。
けれど、パワハラを受けている当事者には、「やめる」という選択肢がなかなか取れない。「仕事をやめたらどうやって食っていけばいいのだろう」「次の仕事先が見つかるか」「会社をやめると逃げるみたいで格好悪い」という思いがあるからだ。
相談を受ける方としては「そんな悩みは二の次じゃん。苦しいなら、なりふり構っていないでやめればいいのに」と思うが、それがパワハラを受けている当事者にはなかなか伝わらない。
悩みや苦しみとは、当事者には切羽詰まったことのように思えるが、それを聞いている相談相手にはその重大さが理解されない、という傾向がある。この「重大に感じるかどうか」というのは、距離感によるものだ。
距離とは自分がゼロ、相手との親密度が遠けれど遠いほど、その距離は広がっていく。つまりは、自分事として考えるから重大に思えるのであり、他人事として考えればそれほど重大でもないのだ。
「悩みや苦しみを他人事として‥」なんて書くと、「そんな不謹慎な」と思われるかもしれないが、問題の解決には客観性が必要であって、客観性を取るには距離が必要なのである。問題を解決するのに全体を見通すことは必要で、そのためにはあたかも自分が遠くから見ているかのよう対象を見なければならない。
これは仕事のみならず、親子関係にも言えることだ。親子関係というとどこか神聖視されていて、どこか俗的な手段が許されない聖域のように考えている人もいるけれど、そんなことはない。神聖視するという感情はあってもいいのかもしれないけれど、そればかりしていると全体を見渡せなくなる。正しい判断ができなくなる。
「神聖視する」「聖域のように考えている」ということは、それだけで距離ゼロである。必要以上に自分事として考えている疑いがある。親であれば自分の子どもが可愛いので、距離ゼロで考えてしまう気持ちがわからなくもないけれど、それは自分の為だけであって、決して子どもの為にはならない。
真の親であれば子どもの為を思うべきだと思うけれど、距離ゼロでは子どもの為ではなく、自分の為にしかならない。親子関係を神聖視したり、聖域のように考えることは、自己満足でしかないのだ。
距離を置いて、冒頭の「子どもが親(自分)の言うことを聞いてくれない」「子どもが悪いことばかりする」を考えてみよう。
子どもが親の言うことを聞かないのは、むしろ歓迎すべきことではないか。というのも、最近では親子関係が親密すぎて、母親あるいは父親べったりな親子が散見されるという。自立できていない子どもだ。そういう子どもに比べれば、‥というか比べなくても子どもが親の言うことをきかないことは自立ができている証拠だろう。
子育てのゴールが子どもの自立にあると考えるならば、周り(親にすら)に惑わされずに主体性を持って行動できるのは、子育てのゴールに近いと言える。
「子どもが悪いことばかりする」のも、親子関係を距離を置いて考えることで解決できる。すなわち、親(自分)がいつも正しいわけではないということだ。距離ゼロで自分を中心に考えると、どうしても自分の考えが正しいものと思えてしまう。自分以外の価値観が理解できなくなる。自分以外の立場が見えなくなる。
自分がすべて正しいわけではないのは自明だ。もしも自分だけが正しいとか、自分の考えを通したいと思っているのなら、それはもはやワガママだろう。相手の価値観や立場や視点にも思いを馳せるのが優しさであって、子どもの親であればなおさらになる。
親子関係で悩んだり苦しんでいる人は多いと思うけれど、大抵その悩みや苦しみは距離が近いことが原因である。親子関係を神聖視せず、聖域と考えずに距離を置こう。ただでさえ親は子どもに思いが強い。多少、他人事と考えるくらいで丁度いいのだ。
仕事依頼、絶賛受付中です。
犯罪、非行、警察関係、子育てなどに関しての記事執筆。人前で話すのも得意なので、講演依頼などもお待ちしています。下記お問い合わせフォームまたはメールにて承ります。
イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。
感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 「イライラしてはいけない」と頑張っている方々に向けて書きました。
電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。
「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」の小冊子になります。
「こうすれば思いやりを育めるよ」「思いやりって、つまりはこんなことだよ」というのを載せました。
思いやりとは、スナイパー(狙撃手)のようなものである。35,222文字。目次はこちらで公開しています。
下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。
[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]
30分の無料相談を承っております。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。
モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。
下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。
[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]
「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。
自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。
心よりお待ちしております。
[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]
関連する投稿
- 子育てとは「シュレディンガーの猫」のようなものである
- マイクラを活かすのは文章表現だ。自分の好きを人生に繋げる接着剤
- 「テニスの王子様」越前南次郎。優しさとは距離をとることだ。
- 育児を楽にするには距離を置くことであって、そのためには書くことだ
- 子どもに与えたい、多様化の時代に必要な能力とは
現在の記事: 「子どもがいうことを聞いてくれない」とか「子どもが悪いことばかりする」の解決には、距離を置くのがいい