為末大さんのオリンピックコラムに見る、警察官の心情とは

2017.12.19 (火)

2016年8月、リオオリンピックの女子レスリングで、吉田沙保里選手が決勝で敗れました。その時の為末大さんのコラムが忘れられません。

 

 

大会前からメディアでも「吉田沙保里選手は金メダルをとるだろう」と言われ、日本中が吉田沙保里選手の金メダルを予想していました。ですが結果は銀メダル。決勝戦で敗れたのです。その際に吉田沙保里選手がインタビューで「金メダルでなくてごめんなさい」と泣きながら謝罪しており、ちょっとした社会の関心を集めました。

 

 

それに対して為末大さんはコラムを書いており、以下はその抜粋です。

 

 

「負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

 

選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、と私は考えている。1つは、五輪という舞台で選手が一体どう感じたのかという、その瞬間にその人しか語れない言葉にふたをしてしまう可能性があるということだ。勝ち負けを超えて、世界の頂点の舞台で感じたことや、やろうとしたことを聞けるのは、社会にとって大きな学びになるはずだ。

 

もう1つは、この国から挑戦心がなくなってしまうことだ。彼らは長い間トレーニングをしてきて、挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちだ。その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、最後の結果だけで批判をする。そうなれば子供たちも社会も、挑戦をすること自体をやめていく。」

 

 

なぜこのコラムが忘れられないかというと、警察官の心情とピッタリ重なり合うからです。

 

 

変なことで社会から批判を浴びたくないので、結局、一番問題が起きにくい言動になっていきます。そしてこれは、社会にとって弊害でしかありません。

 

 

犯罪と直に接した警察官が一体どう感じたのかという、その瞬間にその警察官しか語れない言葉にふたをしてしまう可能性があるということです。犯罪と治安の最前線で感じたことや、やろうとしたことを聞けるのは、社会にとって大きな学びになるはずです。

 

 

もう1つの弊害は、警察組織から挑戦心がなくなってしまうことです。彼らは日々公務に明け暮れ、挑戦をし、犯罪と戦ってきた者たちです。その警察官たちの挑戦の部分を評価しないで、自分が求める「警察官らしさ」に合致するかどうかだけで批判をする。そうなれば警察官も、挑戦をすること自体をやめていくのです。

 

 

警察官は孤独な職業です。自分の考えで行動して批判されることはあれど、評価されることは滅多にありません。ですが日本社会に、個人の言動を制限する風潮が立ち込めていては、最前線の生の声が聞こえなくなり、挑戦する者もいなくなります。もっと人の言動に対して寛容的な社会であってほしいです。

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