望遠鏡を覗くと、月は科学の対象に変わる。天文学が進歩したのはレンズで幻想の霧が晴れたから
社会人になって初めたことの1つに、天体観測がある。
これが意外と面白い。覗いている望遠鏡は「スコープテック ラプトル60」
はじめて買った望遠鏡で、他の望遠鏡を扱ったことはない。だから「使いやすいのか使いづらいのか」なんていうのは正直わからない。
他人に「使いやすいかどうか」を話す時は、他の機種と比べて考えてこそ意味がある。それだけ使って使いやすいかどうかを考えたら、何と比べて伝えれば良いのだろう。自分の中にある基準を目安にするしか無い。自分の中にある基準を目安にすると、他人には伝わらなくなる。自分の中の基準は目に見えなく、手に取ることもできない。
だから自分の心の中の基準を、思っているだけならいざしらず、人に話したり文章に書いたりすることは何処か無責任な感じがする。できなくも無いけれど、無理やりな感じがする。算数が苦手な小学生に無理に問題を解かせるようなものだ。
他の望遠鏡を知らない以上、使いやすいかどうかを人に伝える材料が自分にはない。自分の中の基準を無理に口に出して言えば、「まあ、慣れるとどうってことない」ということになる。……やっぱり他の望遠鏡を使ってみないことにはわからない。
で、時々これを使って月を見る。大人になるまで望遠鏡を覗いたことがなかったけれど、「望遠鏡というものを持っている家庭がある」ことは知っていた。望遠鏡に馴染みがないので、「望遠鏡って家にあるものなのか?」と子どもの頃は不思議に思っていた。
「一般的な子ども部屋」を写した写真には時々、その写真の中に望遠鏡が写っている。写真の隅に望遠鏡があって、それを見る時、僕は「はて?」と思っていた。「こういう写真に望遠鏡が写っているということは、望遠鏡に対して馴染みを持った人が、僕が想像する以上にいるということだろう。望遠鏡って、小学生が扱うほど面白いものなのか? 子ども部屋に置くほど子どもでも馴染めるものなのか?」と。
今なら言えるけど、望遠鏡は初学生にも馴染む。望遠鏡が子ども部屋にあるのもわかる。望遠鏡を覗くのは小学生でも面白い。惹きつけられる。吸い寄せられる。
望遠鏡でなく普通に夜空を見上げて空を見る時、そこには幻想的な雰囲気がある。昔から洋の東西を問わず、月は幻想の対象だった。月の凹凸の影を見て、「月にはウサギがいる」というのは日本の文化。同じようにつき表面の凹凸の影を、西洋では「ライオン」とか「カニ」と例える地域もあるらしい。
夜空の月を見上げなら、あれこれ幻想的なことを想像するのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。というのも、月がよく見えないからだ。視力が足りないから。「黄色くて丸くてキレイなもの」としか見えない。
ボヤッと淡く光って見えるのも神秘的だ。視力の悪い人がメガネを掛けなければ淡い世界しか見えないように、望遠鏡を使わないで月を見る限り幻想的な雰囲気を通さないで月を見ることは不可能だ。
けれど望遠鏡を通して月を見ると、雰囲気は違ってくる。望遠鏡を通して月を見る限り、そこに幻想的な雰囲気はない。現実的に「そこに存在するもの」として月を見ることになる。「そこに在るもの」というリアル感が、望遠鏡の威力だ。視力の悪い人がメガネを掛けるとボヤッとした視界が晴れるように、望遠鏡を覗いて月をみると淡い幻想が無くなっている。
望遠鏡を覗かないで見る月に合う言葉が「文化」「夢」「幻想」「想像」だとすると、望遠鏡を覗いて見る月に合うのは「科学」「現実」「存在」「観察」という言葉だ。夢想の霧が取っ払われ、科学色が強くなる。
クレーターの凹凸が想像以上にあって、太陽に照らされていない部分が黒くなって、改めて「月もまた、そこにある大地だ」というのがわかる。遠い世界の話のように聞いていた月が、「あそこも人類も立つことができる大地なんだ」という印象に変わる。噂に聞いていたアメリカ大陸を自分の目で見たコロンブスのような心境かもしれない。
「文化的に見えていた月が、望遠鏡を通すと科学的に見える」という言い方がしっくり来る。だから、望遠鏡を覗いたことがない人はぜひ覗いてみたら良い。想像を膨らませる対象だった月が、現実的なアクションの対象に変わる。
「数字」とか「計算」という行為を、月に対してもしたくなる。
「月まではどのくらいの距離なの?」
「月の表面にはどのくらいのクレーターがあるの?」
「月はどうして宇宙空間に浮いているの?」
「月はどのくらいの大きさなの?」
「月に立つことはできるの?」
「月に建物を建てることはできるの?」
「どうして月には大気がないの?」
そんな疑問が望遠鏡を覗くと湧いてくるのだ。
天文学の歴史にはいくつかの飛躍があるけれど、その1つはガリレオ・ガリレイによってなされた。レンズを使って月を観測したのだ。おそらくガリレオはレンズを使って月を見たことによって、「月がそこに在る」というリアル感を得たのだと思う。神話とか創造説とは相容れない、圧倒的なリアル感。だから彼にとって月は神話の対象ではなくなったし、「地球は宇宙の中心」とは言っていられなくなった。
裁判でガリレオは、表向きは地球が宇宙の中心だと認めざるを得なかったけれど、それでも地球が公転していることを主張したという。もしかしたら当時ガリレオは、別に「主張した」とか「相手を説得しようとした」のではなく、ただ自分が見たままの事実を述べただけなのかもしれない。
「レンズを通して月を見た結果こうなっていましたよ」という当たり前の出来事を口に出したただけなのかもしれない。まるで「当たり前体操」の、「足を交互に前に出すと歩けますよ」とか「手招きすると人が来ますよ」のように。だから裁判という自分の運命の分かれ道においても、ガリレオは相手にへりくだることがなかったのだ。
というわけで、望遠鏡を覗いて月を見ると、月が文化的な対象から科学的な対象に変わる、という話。科学的な要素でもって月を見たい人にはおすすめ。
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