子どもの自己肯定感を育むには「早く!」「時間がない!」の認識を変えなければならないいし、そのヒントはモモにある。
子どもの非行や犯罪、世の中にある負には、必ず怒りがついてまわる。警察官をやっていたので犯罪現場や事故現場、子どもの非行の現場に数多く出入りしていたけれど、現場に必ずいるのが「怒っている人」である。
ケンカの現場には「こいつの目が気に入らない」という人間がいる。交通事故の現場に行けば、当事者同士がお互いに「向こうが悪い」とののしり合っている。家庭内不和の現場に行けば、「意味分かんない」と言って相手を理解しようとしない。近所トラブルでも、「気が利かない」とか「配慮が足りない」と言って、子どもの騒ぎ声や掃除機の音に文句を言う。
警察官がやっているのはスポーツの審判と同じでルールからはみ出た人間を排除することなのだけど、これはつまり負を処理することである。負には怒りがついてまわるのだ。
親の子どもに対する負の感情は、主に時間的なものから来ている。親は誰しも子どもを怒ろうと思って親になるわけではなく、それは世の情勢を見ても明らかだ。昨今、本屋に行ってもネットで検索しても、「怒らない子育て」というのが目につく。誰もが怒らないで子育てしたいのだ。
生きるには自分自身を律してマネージメントする自己肯定感が必要だし、自己肯定感を育むには子どもの言動を尊重することが必要だ。子どもと一緒に暮らしている親としては、時間というパイは限られているので、子どもの言うことを尊重しようとすると、自分を抑えなくてはならない。
普通の親であれば子どもが可愛いので、子どもを尊重することに苦はない。子どもが可愛いのだから、子どもを尊重できる。やりたいと思ったことをさせてあげられる。
ただし「時間があれば」である。
親が子どもの言うことを尊重できるのは、親に時間的余裕があるときだけなのだ。
もちろん、金銭的に無理なことを子どもから言われても親にはさせてあげられないので、お金に関しても余裕が必要だけれど、お金に関する余裕はごまかすことができる。幼児であればお金のかかる要求なんてほとんどすることはないし、成長して大きくなれば懐事情に気を使うようになって、親に到底無理なお金の要求をすることもなくなる。
やってあげられるかやってあげられないか、尊重してあげられるか尊重できないか、子どもを優先できるかできないか。その微妙なラインをついてくる子どもの要求は、時間的な問題をついてくるのだ。
「時間がある時はやってあげられるが、今は時間がないからやってあげられない」
「普段なら尊重できるが、時間がない時は尊重できない」
「本当であれば子どもを優先した方がいいが、時間がないから優先できない」
子どもの自己肯定感を育めるかどうか、怒らない子育てを実践できるかどうかは、時間次第になる。
ここで、時間に対する基本的なことを紹介しよう。水面下で僕たちの時間に対する認識を方向づけているものだ。それは、「時は金なり」である。お金を数値に置き換えて、買ったり売ったりできるような感覚にさせる。得したり損したり、損得感情を持って時間を見る目を押し付けてくる。
しかもあまりにも広く浸透しているので、「自分は時間を損得勘定できるように思っている」という感覚すら無い。「時間とは数値化できるもの」という感覚が、人類普遍の感覚であたかも初めからそうであったかのように認識している。
古来、時間は数値化できるものではなかった。ただ「以前」があって、「今」があって、「今後」があると予想されるだけだった。けれど、人は「時は金なり」と考えることで、数値化できるものとして損得勘定で時間を見るようになった。
子どもになにか要求された際に時間的な余裕があればいいが、余裕がなければ「どっちが有利か」と考えて天秤に掛ける。イベントごとに参加すれば、良かったか良くなかったかで比較して、「得した」「損した」を考える。
すべて「時は金なり」という時間感覚によるものである。元々僕たち人間は、時間を数値化できるようなものとして見ていない。数値化を導入したり損得勘定で見るようになったのは、歴史上で見れば最近のことだ。
子どもの要求を飲めるかどうかは、親が損得勘定というフィルターをとおして見るから世界観によるものである。
「時は金なり」という認識がる限り、時間的に余裕があれば怒らないだろうし、時間的に余裕がなければ怒るだろうし、時間次第、ということになる。
認識を変えるには、暗黙のうちに浸透している「時は金なり」を変えることだ。「時は金なり」を廃して、新しい時間間隔を自分なり社会に浸透させる必要がある。
ヒントとなるのはミヒャエル・エンデの作品「モモ」である。僕は読んだことがないけれど、この作品の中に「時間はいのち」というセリフがあるらしい。なるほど、「時間はいのち」も「時は金なり」と同じように、時間を大切なものとして扱っている。けれど「いのち」と言われると、「お金」と言われたときのように損得勘定で計算しようとする気はなくなる。
「いのち」は損得で考えられるものではないし、お互いを比較できるものではない。買ったり売ったりできないし、貯蓄するのも垂れ流すこともできない。そういう認識の外側にあるものである。無条件に大切にするものだ。まるで小さな動物の命をそっと手のひらの上に乗せるときのように。
子どもの要求に太阿して「時間がないから出来ない」ということもなくなるのではないか。少なくともイライラして「時間が‥」という感覚を和らげることはできるだろう。
警察官だから負の場面に多く関わってきたけれど、負と怒りは連動している。怒りを抑えるには時間に対する認識を変えることであって、そのヒントは「時間はいのち」である。
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