怒りの真実と、怒りの抑え方〜2000年前からローマの哲人は知っていた 怒らない方法
怒りはどうして悪なのか
怒りの感情はタチが悪く、どうしてタチが悪いかと言うと、破壊的な衝動であるにも関わらず高揚感を覚えるからだ。そういう意味では、怒りとは覚せい剤とか大麻なんてのに似ているのかもしれない。
僕は怒りの感情が嫌いだ。怒りの感情は相手に対するマウンティングとも繋がりやすい。マウンティングしようとすれば怒りの感情を表に出すとしやすいし、相手に対して怒りの感情をぶつけていれば、結果的にマウンティングすることになる。
僕はマウンティングが嫌いなので、マウンティングと相関関係にある怒りという感情も嫌いである。マウンティングしようとする人は嫌いだし、怒りの感情を臆面もなく表に出す人は、器が小さいとも思う。
セネカが言っているように、怒っている人は見た目もみっともない。怒りほど人を醜く見せるものはない。
「目は燃えるようにギラギラ光り、心臓から血が上って顔全体が赤くなり、唇が震え、歯ぎしりし、髪の毛が逆立ち、呼吸は苦しそうだ。手足の関節を鳴らして、ため息をつき、うなり、離す途中で理解できない音が混じり、両手を互いに打ちつけたり、足をどんどんと踏み鳴らしたりして、体の全体が興奮した状態で『怒りの恐ろしさを見せつけている』」(本文より引用)
けれど、怒りに身を委ねる人の気持ちも分かる自分がいるのも事実だ。落下を止められなくなるのだ。燃えるような激情に身を委ねることの快楽、相手に自分よりも立場が下であることを認識させることの達成感、面倒くさいこと抜きにして事態が丸く収まることへの期待感。怒りは覚醒剤や麻薬と同じで、落ちると止められなくなる。
そんな僕たち人間への害を理解できるからこそ、怒りは止めなければならない。僕たち人間は、怒りという手段と決別しなければならない。怒りが招いた結果を見れば、この感情がいかに人間に害悪を招くかわかるだろう。
犯罪は怒りに由来している。特に注目を集めるような犯罪は、怒りから発生している。
少年事件があるたびに僕たちは興味をそそられるが、興味をそそられるのは本来であれば純粋な存在である「少年」と、「凶悪犯罪」という純粋のかけらもないような人間の行為が一緒のところにあるからである。少年犯罪は、理性というよりは感情からくる。その感情とは怒りである。未熟ゆえにk
児童虐待が昔よりも注目を集めるようになったが、これは愛くるしい存在であるはずの子どもに対し、一番愛情を感じるはずの親が危害を加えるからだ。「どうして」という疑問と、子どもに対する親のやるせなさが共感を呼び、世間の注目を集めるのではないかと思う。児童虐待も、原因は怒りである。自分の思い通りにならない子どもに対して、コントロールが効かなくなる。
怒りを抑える方法
怒りを抑える方法はいくつかあって、本書に記載してあった方法と僕の見解を混ぜながら紹介する。
まずは怒り自体がみっともないことであることを自覚することだ。本文から引用して紹介したとおり、怒りは醜いものである。人の表情を品のないものに変え、そこに格好良さは微塵もない。「人に怒れる自分」というものに酔っている人もいるが、もう一度人が怒っているところを見たほうが良い。あんなに醜いものはない。
怒りが悪であることの自覚が重要なのだ。岩波文庫のセネカ「怒りについて」の方には「怒りの原因よりも怒りそのものの方が悪い」ようなことが書いてあったが、まさにそのとおりである。「原因はあんたがつくったんじゃないか」なんて言って怒っている人はよくいるが、悪である怒りに染まっている「今」の自分が悪なのだ。過去にさかのぼって「原因を作った方が‥」なんてやっている場合ではない。
次に、時間をおくこと。よく言われていることだが、これは案外あなどれない。確かに時間をおくと、怒りは沈んでいく。ただ、「具体的にどのくらいの時間が必要なのか」と聞かれても「ケース・バイ・ケースだ」としか答えられない。
言えることは、怒っている時に何かしらのアクションを起こすべきではない、ということ。しばし待つべきだ。そのアクションは、やらなければならないものであっても、しばし待つべき。なぜなら、怒りはいずれ静まるからである。溢れ出る怒りの高揚感に、落ちていくのを止められなくなるが、どうにかつなぎとめておいてほしい。怒っている自分を客観視する自分を、どこかで保っておくのだ。完全に囚われては、怒っているその人をも呑み込んで、状況すべてを破壊してしまう。
それから、想定外をなくすこと。怒りは想定外が発生した時に、現れやすい。だから、普段から想定外になりそうなほどキャパ以上のことをすべきではないし。自分を過大評価して「自分には想定外はない」なんて考えないべきだ。
普段から「自分にはわからないものだらけ」と思っておけば、想定外のハードルは低くなる。どこかの医療ドラマみたいに「私、失敗しませんから」という態度が、想定外を招いて怒りを発生させる。
最後に、表現方法を磨くこと。怒りは、自分の内面を表現する方法が枯渇した時に現れる。うまく表現できれば、怒りという体裁をとることも無いが、うまい表現方法を本人が持っていなかったばかりに、稚拙な「怒り」という手段を選んでしまう。
普段から言葉を尽くして表現の幅を広げておけば、相手に自分の考えを伝えやすくなるし、「言いたいけど言えない」「伝えたいけど伝えられない」というストレスと感じることが少なくなる。「うまく伝えられない」という想定外を減らすことができる。
特に言葉を磨くことは、頭を整理することにもつながる。頭を整理できると、怒りの感情が冷めやすくなるし、怒りの醜さを外側から見る客観の視点も得られやすい。怒りへの具体的な対処法としては、言葉を磨くのがいいだろう。
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