子育てをしていると「自分は大した時間、生きていないのだな」とふと思う
子育ての最中、2人の子らを見ていると「自分もこの世に生を受けてから大した時間、生きていないんだな」と感じます。
5歳の長男を見ていると、「このくらいの年の頃の記憶があるな」とふと思います。私のファーストメモリーは、おそらく5歳くらいです。家族で地元の七夕祭りにいったこととか、幼稚園での記憶などを思い出すことができます。
非行らしい非行もせず、おとなしい子どもでした。
その頃からなんとなく、自分がはるか昔から自分であったような気がしていました。ずっと昔から自分が存在していたと思っていました。自分が存在しない世の中なんて考えられませんでした。自分が生まれる前のことなんて気にしたことがありませんでした。
だけど、そのときの自分もこの世に生を受けてたかだか5年かそこいらだったのです。自我が目覚めてからというと、2年かそのくらいかもしれません。
それなのに、はるか昔から自分が存在していたように振舞っていました。当たり前のように両親がいる家で生活して。当たり前のように幼稚園にも通って。当たり前のように祖父母の家でも我が家のように遊んで。
・・なんて事を考えていると、つくづく人間っていうのは小さい生き物だなと思うのです。一人一人は長くても100年くらいの時間しか持っていません。文明ができて何千年か正確にはわかりませんが、それほどはるか遠い昔じゃないのかもしれませんね。
とりとめのない文章になりましたが、生命の神秘、人間という存在、人の一生などについて考えている次第であります。
引き続き、子どものアンチ非行についてコラムを執筆していきます。
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