接続詞はブースターだし、比喩はヌケ感だし、正解よりも信念である〜うまいと思わせる文章の裏ワザ

2020.08.12 (水)

 

「接続詞は文章の流れを創りだす」

接続詞に対してどんなイメージを持っているだろうか。おそらく多くの人が論理展開を示す道しるべのようなものだと思っているのではないだろうか。そのイメージは正しい。

 

 

文中に「それから」と入っていれば「また同じような話が展開されるんだな」と思うし、「しかし」と入っていれば「これから反対の説が展開されるんだな」と予想できる。接続詞なしだと実際に読み進むまで論理展開が予想できないので、あらかじめ道しるべが示されることは、読み手にとって大いに助かる。

 

 

ただし、もう一つ忘れてはならないのは、「接続詞は書き手のものでもある」ということだ。文章を書く際に書き手は読み手のことを想像して書く。「こう書けばうまく伝わるだろう」とか「こういう展開にすればわかりやすいだろう」と。

 

 

接続詞というものは、読み手が読むときのものだけではなく、書き手が文章を書き進めている際に話を膨らませ、うまく論理を展開してくれるものでもあるのだ。この書き手にとっての意味において、接続詞は道しるべであると同時に、ブースターの役割も果たす。

 

 

書き手が文中で進めてきた論理展開を、「今度はそっちだよ〜」と方向を示してぶん投げてくれるのが接続詞だ。書き手が作文中に「たとえば」と書けば、それまで書き進めて来た論理にたとえ話を加えるように頭がブーストされる。書き手が文中に「つまり」と書けば、それまで書き進めてきた論理展開に一言で言いきれる結論じみた言葉を付与するように頭をブーストしてくれるのだ。

 

 

一見、接続詞は読み手のためにある、受け身な草食系のイメージだが、それはオモテの顔だ。接続詞のウラの顔は、能動的な活動を積極的にうながす肉食系なのだ。

 

 

文章を書く際は、接続詞をイメージすることで、文章に膨らみと方向転換が加えられる。イメージした接続詞を、最後まで残すかどうかは別の問題であるが、接続詞によって書き手の作文が加速されることは間違いない。

 

 

書き手に加速を与え、方向を示してくれるブースター。それが接続詞なのだ。

 

 

「比喩は感覚に基づく表現であり、論理性に乏しい」

僕は比喩表現が好きだ。比喩表現を文中に入れることで、文章は一気に色彩を帯びる。たとえ面白みがない文章でも、1つ比喩を入れさえすれば面白みが加えられる。ネクタイのティンプルのようなものだ。

 

 

スーツでビシっと決め、ネクタイをカッチリと締める。スーツにもネクタイにもシワは見当たらないが、それではどこか「決まり過ぎている」感が出てくるだろう。完璧すぎるものは逆に敬遠される。

 

 

どこか抜けている、どこかドジなところがある。人柄でも完璧すぎるとひかれてしまうものだ。スキがあるから人は寄ってくる。スーツを着た際にも、ネクタイにすら少しもシワがなかったら、完璧過ぎて近寄りがたい雰囲気がある。

 

 

比喩は文章にヌケ感を出してくれるので、読んでいて親近感を出してくれる。カッチリ決めたスーツ姿に近寄りがたい雰囲気があるように、論理性だけで固めた文章にも近寄りがたい雰囲気がある。比喩でヌケ感を出してこそ、読み手から親近感を持たれるのだ。

 

 

であるからこそ、比喩は論理性に乏しい。感覚に基づく表現であり、比喩は論理的に説明できるものではない。かっちりした文章を書きたいのであれば比喩は抑えるべきだし、ユニークな文章を書きたいのであれば比喩で冒険してみるのもいい。

 

 

比喩は文章にヌケ感をだしてくれる、良い意味でも悪い意味でも論理性に乏しい表現なのだ。

 

 

「信念ある自己流は、信念なき正統に勝る」

この本のタイトルは、「文章の裏ワザ」である。ホンネとタテマエ、オモテの表現とウラの表現、城跡と裏ワザ。2つの方法論を33のテーマで示している。

 

 

オモテ‥「接続詞は、前後の文の関係を論理的に示す」

ウラ‥「接続詞は文章の流れを創りだす」

 

 

オモテ‥「比喩は内容を感覚的にイメージ豊かに伝える」

ウラ‥「比喩のわかりやすさがマイナスになるときもある」

 

 

オモテの表現とウラの表現、どちらも正しい。ではどうやって、オモテの表現とウラの表現を使い分けるのか。それは、使い手次第‥というところだろう。

 

 

世の中に正解のある命題はほとんどない。

 

 

一見、正しい答えがあると考えてしまう数学でさえ、スキを突こうと思えば突けなくもない。

 

 

たとえば三角形の3つの角の和は180度になることはわかるけど、この世界にこうした三角形が存在することを保証するものはどこにもない。(参照「デカルト 方法序説」)

 

 

では正解のないこの世界で、僕たちは何を土台にして生きていけば良いのか。正解を選択して生きることはできない。なぜなら正解自体がないのだから。正解を求めることは当てにできない。ではどうすればいいのか。

 

 

それは信念に従うしか無い。

 

 

たとえ一般的に正解とは言えない道を選んだとしても、信念を持って突き進めばそれはいわゆる「正解」なのだ。「自分が選んだものをどこまで信じることができるか」なのだ。

 

 

その人やその状況において、その人が「最善だと思う選択肢」のみがあり、それをどこまで自分で信じられるかどうかで、それが「正解」になるかどうかが決まる。(参照 細谷功「具体抽象トレーニング」)

 

 

たとえ間違いと後ろ指さされようと、信念を持って突き進もう。それが道になる。

 


 

 

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