タイタニック号で沈没する際に楽器を弾いていた音楽隊は、利己的なのか自己犠牲なのか〜人間とは何か

2020.04.20 (月)

 

 

「人間は機械のようなもので、創造なんてできない。『自分で考えた』ようなに思えても、それは人間関係という外からの影響を受けて推論したものに過ぎない」

「人間は利己的である。たとえ他人のための自己犠牲でも、その実は自己満足のためにやっているだけである」

 

 

という2つのことについて書いてある。

 

 

人間は利己的である

本書には「人間が利己的にしか行動できない」「人間は利己的な動物である」と書いてあって、僕はそのとおりだと思っている。人間という動物が実際に自己犠牲ができない動物なのかどうかはわからない。ただ、利己的という本書の主張で、人間の行動は説明できる。

 

 

本書に出てくる老人の話だと、人間は利己的な動物なので、自己犠牲の行動でも、その裏には自己満足という報酬のためにやっているという事実があるという。

 

 

たとえばタイタニックを例に出そう。僕が大学生だった時に観た映画である。僕は映画を観てもめったに泣かないが、この映画では泣いてしまった。

 

 

僕もこのシーンで泣いたんだけれど、音楽隊が沈没していくタイタニック号のデッキで、最後まで音楽を奏でていたシーンを覚えている人は多いと思う。

 

 

乗客という乗客がパニックになって逃げ惑っている中、彼らは「乗客全員は助からない。全員が逃げ出せるだけのボートもないし、時間もない。誰かが犠牲にならなければ。自分たちは犠牲になる方だ。それが紳士ってもんだろ?」みたいな感じで、最後まで楽器を引いていたのである。

 

 

これは自己犠牲なのだろうか。それとも自己満足なのだろうか。僕にはどちらなのかわからない。ただ、自己満足として説明すればシンプルだと思う。

 

 

最後まで演奏し続けた音楽隊も、逃げ出せばよかったのだが、そうはしなかった。彼らが選んだのは、最後まで音楽を演奏し、自分たちが他の乗客のために犠牲になることだった。

 

 

一見、尊い自己犠牲のようにも思えるが、本書の老人の考えでもって説明すれば、彼らの自己犠牲という表面的な行動の裏には、自己満足という精神がある。海に落ちて死んでしまうという恐怖よりも、格好良く死にたいという自己満足が勝ったというだけの話である。

 

 

パニックになっている乗客たちと一緒になって逃げ出せば、自分もみっともない姿をさらしなくてはならない。他人を押しのけ、「自分も乗せてくれぇ」とボートに向かわねばならない。しかも本当にボートに乗れて助かる保証はない。英国人らしからぬみっともない姿をさらした挙げ句に死んでしまうかもしれない。死ぬ間際にさえ最低野郎の姿をさらすのは嫌だ。

 

 

というわけで、音楽隊が選択したのは、「せめて最後は英国紳士らしく、落ち着いて尊厳ある死を」というものだった。逃げ惑う乗客のために音楽を奏でるという姿を見せ、「自分たちは肝が座っているんだぜ!」という自己満足を、彼らは選択したのである。

 

 

こんな風に、自己満足という言葉を使うと、シンプルに何にでも説明ができてしまうのだ。本当の自己満足も自己満足として説明できるし、一見自己犠牲に見えるものも自己満足として説明できる。

 

 

「オッカムの剃刀(かみそり)」という言葉があって、これはシンプルな方が優れていることのメタファーとして有名である。

 

 

ウィキペディアによると、「『ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない』とする指針。もともとスコラ哲学にあり、14世紀の哲学者オッカムが多用したことで有名になった。『剃刀』という言葉は、説明に不要な存在を切り落とすことを比喩している」とのことである。

 

 

ただ、本当に音楽隊の心に自己満足があったのかどうかはわからない。「自己満足だろう」というのは、あくまでも外側から「説明がしやすい」という理由で、あてはめた推論である。

 

 

船が沈んでいく中、周りの人間が逃げ惑う中、自分たちにも家族がいたろうに、帰りを待っていてくれる人がいたろうに、やりたいことだってあったろうに。恐怖と悲愴が目の前にあるという圧倒的な現実。それでも音楽を演奏することを選択した彼らの精神に、他人が自己満足という言葉を当てはめられるのかどうかは、疑問である。

 

 

人間に創造はできない

本書の中に登場する老人に言わせると、創造物なんてのは模倣に過ぎないらしい。どんなに自分が考えて、自分が作り出したものだとしても、そこにほんとうの意味でのオリジナルなんてものはない。所詮は、過去に受けた影響の産物に過ぎない。

 

 

教育であったり、教育とは呼べない何気ない人間関係の中から受けた影響。そんなものが自分の中にたまり、そこからまるでジグソーパズルのように並べていってできたものが、創造の本当の正体なのだ。

 

 

なので、けっして人間はゼロから作り出すことなんてできない。どんなに「自分のオリジナルだ!」「オレが考えて創ったんだ!」なんて言っても、その裏には数限りなく受けた影響の数々がある。「オリジナルだ!」と言って出されたものをよく見ると、ツギハギの痕がたくさんあり、受けた影響が見て取れるのだ。

 

 

それは確かに意識的に盗用したものではないかもしれない。本人にとってみれば、自分で考えて作り出したものとしか思えないのかもしれない。けれど無意識のレベルで、本人の意図できないほどの所で、受けたインスピレーションの影響が見て取れるのだ。

 

 

そんなもの、本当に僕らは「オリジナル」と呼んでいいのだろうか。「これはウチのオリジナルですから」なんてドヤ顔で言う人もいるが、そんな人には「ドラえもん のび太の日本誕生」を読んでもらおう。のび太だって、「後から来た人間が、勝手に土地を自分たちのものであるかのように」なんてことを言っている。「オリジナルだ」とか「自分たちのものだ」と思い込んでいる人間を、強烈に皮肉ったセリフだ。

 

 

「嫌われる勇気」のモデル

というか、本書を読んでいて一番気になったのは、「嫌われる勇気」とおんなじ調子で展開される、主人公とそのメンターの会話である。

 

 

本書では、老人と青年が問答式に会話をしていくが、この会話の調子はどこかで読んだことがあるものだ。読み始め、すぐにわかった。なんと、「嫌われる勇気」の、あの独特の問答は、この本をモデルにしていたのだ。

 

 

「嫌われる勇気」では、青年の現代風でない、どこか気取ったような口調が面白く、全体としての真面目な雰囲気に若干のコミカル性を味付けしている。なるほど、今思うと、あの青年の口調は外国語を日本語に訳した際に出てくるぎこちなさに似ている。

 

 

きっとライターの人、もしくは編集者は、「人間とは」を過去に読んでおり、この会話の調子を「嫌われる勇気」に持ってこようとしたに違いない。

 

 

「人間は機械のようなもので、創造なんてできない」とか「人間は利己的である」とか論じておいてひっくり返すようであるが、「『嫌われる勇気』にもモデルがあった」というのが、本書を読んでの一番の収穫である。

 

 

 

 

 


 

 

 

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