子どもを非行から防ぐには、ズバリ、距離を置くこと
目が見えなくなった、あるいは目が見えにくくなったお年寄りって、目を対象に近づけます。辞書なんかの細かい本の字を読もうとして、頭を辞書にくっつくくらいに近づけているおじいさんやおばあさん、頭にイメージできるのではないでしょうか。
近くっていうのは、対象をはっきりと見えるようになることです。ボールペンに目を近づければ、そのボールペンがはっきりと見えるようになります。コップに目を近づければ、そのコップがはっきりと見えるようになります。バッグに目を近づければ、そのバッグがはっきりと見えるようになります。
この近づける行為のデメリットとしては、周りが見られなくなることがあります。視野が狭くなるんです。辞書を読もうとして顔を近づけているお年寄りに近寄って行っていたずらしようとしたら、簡単にできるでしょう。そのお年寄りは、周りが見えていないのですから、簡単に近くことができます。
トイレットペーパーの芯や、ラップの芯。筒状のものを覗いているようなもので、ある一点ばかりに、目がいってしまっているんです。ある一点ばかりに目がいってしまって周りが見えないと、関係性が見えなくなります。我々というのは、周りとの関係性なくして生きてはいけません。「嫌われる勇気」というベストセラー本がありましたが、あの本の中でも「人間の悩みとは、すべて人間関係の悩みだ」といっていました。
私たちは、関係の中で生かされているのかもしれません。蜘蛛が巣を作って、張り巡らされた糸の巣の中で生活しているように、私たちは、あ張り巡らされた関係性(見えない糸)の中で生活しているのでしょう。
対象に近づきすぎつというのは、周りが見えなくなることですから、この関係性も見えなくなることになります。「あの人とこの人の関係はどうなっている」とか、「あの人にとって向こうはあんな存在だ」とか。関係性というか、関わり合いといったほうが的を射ているかもしれません。
「あの人が、こっちとどんな関わり合いなのか」「この人は、それとどんな関わり合いなのか」とか。近づきすぎて周りが見えなくなるとは、このような、その人の周りとの関わり合いが見えなくなることなんです。で、周りとの関わり合いなくして生きられない私たち人間にとっては、これは死活問題です。
というのも、この関わり合いも含めた包括性が、その人の本質だからです。何事も、その人個人だけで成り立っているものは何もないでしょう。必ず、誰かとの関わり合いの中で生きているはずです。学校に行ったり、仕事に行ったり、家族と過ごしたり。そんな関わり合いの中で生きていますから。その人を見ようとしたら、その人の周りに張り巡らされている、人間関係の人をも含めて、その人、ということになります。
全体を見ようとしたら、顔や目を近づけることなく、離れるしかないんです。距離を置くしかない。これは物理的な意味だけでなく、精神的な意味も含めて、です。「ありのままの〜」なんて歌が以前、流行りましたが、相手のありのままを見ようとしたら、精神的にも離れることです。近づきたくなる気持ちをぐっと抑えて、やや冷淡に、淡白に、相手と接すること。
相手を見ようとするということは、その人に少なからず興味があるということですから放っておいたら前のめりになってしまうでしょう。そこで抑えるんです。はやる気持ちを抑えて、自分の背をを背もたれに吸い付けるように、身を引くんです。
そうすれば、近づきすぎていた時では見えなかった、相手の全体の姿が見えてくるでしょう。子どもと学校の関係、子どもと友達の関係、子どもと家族の関係。悩みとは、人間関係です。その対象の悩みを見ようとしたら、その対象の周りとの関わり合いまでも見なければなりません。子どもが非行に走らずに、素直に成長してくれるには、その子どもと周りの関わり合いこそが、見なければならないことなんです。
子どもが好きだからといって、もしあなたが子どもに対して前のめりになっていたら、顔を近づきすぎているのだとしたら、そんな状態は、洞穴に頭だけ入れて、お尻を洞穴の外に出しているのとおんなじ状況です。まさに頭隠して尻隠さず。そんなことでは、相手の全体が見えません。
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