「それって人それぞれだよね」は本当か(その2)

2019.10.25 (金)

そんな警察官が、ケンカやトラブルを収める際によく使うのが、「人それぞれだよね」という文句である。世の中で思われているよりも、ケンカやトラブルというのは多く発生している。「荷物がぶつかったり」「視線が合ったり」「気に入らない顔をされたり」という、相手に因縁をつけるだけの理由は、どこにでも転がっているのだ。居酒屋でも家庭内でも、特に夜なんかは人が複数人いれば、すぐにケンカやトラブルになって警察官が呼ばれる。そこで、相手をなだめる為に、関係者の怒りを沈める為に持ち出すのが、「人それぞれだよね」なのだ。

 

 

「向こうには向こうの立場があるんだからさ」とか「相手には相手なりの譲れないものがあるんだよ」と言って、自分以外の考えや価値観があることを想像させるのである。世の中には自分の考えばかりだけではないこと。自分が存在していると同時に、自分とは別の人間が存在していて、別の考えを持っていること。それは自分の思い通りにはならないこと。何もかもが「人それぞれ」であることを告げて、怒りを沈めるきっかけにするのである。実際、この「人それぞれである」ことは有効で、最終的に「人それぞれ」であるならば、何もできない。いくら主張しようと、相手も同じように自分の視点から見た世界観を主張するので、お互いが言い合いになってしまう。そんな言い合いを外側から見るイメージを相手に植え付けるので、言い争いが、主張して相手にわからせようとすることが、不毛なものに見えてくるのだ。「人それぞれだよね」というのは、我々の根底にある考えなので、これを持ち出すことはケンカやトラブルを解決する上で有効な武器になるのだ。

 

 

もう一つ。例えば、戦争について聞かれた時のことを考えてみよう。戦争についてどう思うか、インタビューされた時のことを想像してみよう。世界ではいまだに戦争や紛争が頻発している。第二次世界大戦を経験して、そこで多くの教訓を得ているにも関わらず、いまだに世界から戦争や紛争は無くなっていない。大国である甲国が、小国である乙国に侵攻したとする。そんなニュースが報道されて、街頭で「それについてどう思うか」とインタビューされたとして、あなたは何と答えるだろう。「戦争を仕掛ける甲国の事情も分からなくないが、乙国のことも考えるべきだ」というようなことを言うのではないだろうか。おそらく多くの人が、「お互いに立場がある」というようなことを言うだろうし、そう答えるのがなんとなく知的で模範的な回答のようにも思える。「戦争を仕掛ける甲国にも、仕掛けられる乙国にもそれぞれ立場があるし。それを端から見ている自分たちも、甲国や乙国とは違う立場にある」という考えを言うだろう。どんな答えを言ったとしても、その根底にあるのは、突き詰めていくと「考えはそれぞれである」ことに行き着くのだと思う。「別々に存在する国どおしだし、お互いの立場が一致することは決してないだろう」という前提なのである。

 

 

この「人それぞれだよね」という考えが、悪いのではない。私は、この「人それぞれだよね」という考えが間違っているとは思っていない。私はこの考えが好きだし、この考えは多くの問題解決の場面でも使える強力なものだと思っている。この考えが、人類の普遍的な考えなんじゃないかとも思っている。これ以外の考えなんてないのではないか、とも思っている。だってそうだろう。自分はここに存在しているが、自分の周りにいるのは、自分以外の存在なのだ。自分は何十年か前にこの世に生まれて、これまで生きてこの世に存在してきた人間である。が、周りの人間も同じようにこの世に生まれて、これまで生きて存在してきた人間なのだ。そんな、それぞれの立場である人間が、全く同じ考えを持つことなんて無いだろうし、それぞれの考えを一つに絞ることも最終的にはできない。考えに優劣なんてないからだ。確かに「こっちの方が良い」「こっちはダメ」というのはあるだろうが、それでも最終的な判断は「人それぞれ」に委ねられるだろう。 

 

 

けれど、だ。いかにも強力で、普遍的な価値観のように思える、この「人それぞれだよね」という考え。実はこれは、トレンドでしかない。流行る時もあれば、廃る時もある。皆んなに歌われる時もあるが、誰も見向きもしない時もある、流行の歌や音楽と一緒なのだ。

 

 

歌や音楽が好きな人はたくさんいて、聞いたり歌ったりしているが、自分の好みが万人の好みだとは決して思っていない。私も大学の頃、カラオケに行くのが好きで、日本のポップミュージックをよく聞いたものである。私が大学生の頃は、Dragon Ashだとか、B’zだとか、GLAYというバンドの曲をよく聞いていたし、歌ったものだ。これらの歌が大好きで、聞くと心が落ち着くし、一時的にせよ不安が払拭される。歌えば皆んながノッてくれるので、歌っている間はヒーローになれる。そんな歌だった。けれど、そんな心の拠り所だった歌でさえ、時代に左右されるものだ。Dragon AshだとかB’zだとか、GLAYと聞いて、「自分も好き!」と言ってくれるのは、私と同世代くらいのものだろう。それどころか、世界的に見たら、同世代でも「自分も好き!」と言ってくれるのはほとんどいないと言ってもいい。

 

 

そんな歌や音楽と同じく、「人それぞれだよね」という考えは、一時の流行りでしかないのだ。この考えは、構造主義とかポスト構造主義と呼ばれる哲学的なトレンドである。現代思想に分類されるもので、紀元前500年くらいから始まった西洋哲学史の中では、極々最近の流行りである。普遍的で当たり前に思える「人それぞれ」も、長い時間で見れば一時期のものでしかない。決して人類普遍のものではないし、人類の根底にある考えでもない可能性があるのだ。「可能性がある」というのは、この後で別の思想が主流になるかもしれないからだ。もしかしたら「人それぞれだよね」という見方が廃れて、違う見方が出てくるかもしれない。「人それぞれだよね」に対して、「そんな時代もあったよね」と思われる時代が来るのかもしれない。

 

 

今のところ我々は、この「人それぞれだよね」という考え方からは、そうそう抜け出せないだろう。というのも、「『人それぞれ』とは違う、別の見方ができる」という考え方自体が、私自身の考えだと思ってしまうからだ。どんなに考えようとも、「自分以外の人間が、自分とは違う考え方を持っている」以外の状況なんて、想像できない。そんな世界があるなんて思えない。結局は、我々は今、このトレンドの中でしか物事を考えることができないし、どんなに突拍子もないことを考えつこうとも、「人それぞれだよね」と言われれば終わりの気がする。「その考えも構造主義から抜け出せていないよね」で終わってしまうのだ。

 

 

そんな風に、「どんなに考えても結局は抜け出せていない」と言われると、ゾクゾクとしてこないだろうか。このゾクゾクとは「世界を変えられるかもしれない」というゾクゾクである。どんなにあがいても「この考えから抜け出せない」とは、見方を変えれば、この考えにも終点はある、ということである。もしもこの考えのトレンドから抜け出せれば、違う世界が見えるということである。

 

 

今日本では、多くの人がワダカマリを持っている。抜けられるようで抜けられない。解決できそうで解決できない。届きそうで届かない。そんな「あと一歩!」感である。そんな「あと一歩!」を越える為に、皆んなが目の前の問題に取り組んでいる。科学者が実験しているし、政治家が答弁しているし、警察官は酔っ払いをなだめて家に返している。書くのが好きな我々は、こうして文章をパソコンに向かって打っている。そんな我々にとって、あと一歩を越えるブースター。それが哲学なのだ。常識を崩せば社会が変わる。当たり前を変えるところから社会は変わる。社会を変えて突き抜けるには、哲学なのだ。2020年、そろそろ時代が突き抜けるのではないか。

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非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

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電子書籍で本を出すことになりました。ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。タイトルは、「人に優しくなれる発想法」です。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。

 

警察官が、イライラの感情という素朴で身近な、ともすれば大きくなりがちな分野で語ることはないのではないでしょうか。というのも、警察官は感情をなくして機械的で形式的な仕事をする人間だし、そうであることが求められがちな職業だからです。この本では、元々警察官をやっていた人間が、その時の経験を元に、実は警察官に身近な感情であるイライラについて、そのイライラをなくす考え方を紹介します。

 

実は、警察官にとってイライラというのは、最も身近な感情です。というのは、警察官がイライラの矢面に立つ仕事だからです。

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