いつまでたっても解けない数学の難問と同じで、子どもの泣き声って解決しなければならない永遠のテーマ
私は子どもが好きだ。自分の子どものみならず、社会において子どもは大切にしなければならない存在だと思っているし、守らなければならない存在だとも思っている。誰の子どもであれ、愛しさは感じている。なのに、なのに、子どもの泣き声に関しては、心を揺さぶられるのだ。小さい子どもが、幼児が、児童が、泣き声や大声をあげているのを聞くと、「うるさい」と思ってしまうのだ。
子どもを「守らねばならない存在」と考えつつも、いざ子どもの泣き声や大声を聞くと、それまでの集中力が切れてイライラとしてしまう自分がいるのだ。例えばスターバックスコーヒー。意識高い系と言われようと、ドヤっていると言われようと、なんだかんだでスタバの居心地はいい。文章を書くには最適だし、本を読むにしてもこんなにいいところはないと思っている。値段だって、ベラボーに「高い!」というわけではないだろう。「今日はいっか」程度の気持ちで入れるはずだ。それなのに、それなのに。文章を書きたくて、本を読みたくて、お金を払って自分の環境を整えたのに、そこで「キー!」とか「アー!」という子どもの泣き声や大声を聞くと、どうしても心を乱される自分がいるのだ。
だからと言って、こればっかりは子どもを責めるわけにもいかない。子どもの親を責めるわけにもいかない。誰のせいでもない。社会とは自分の都合でばかり動いているのではなくて、人間とは子どもの時に大声や泣き声を出す存在なわけで、子ども無くしては世の中はなりたたないわけで。つまりはそんなところなのだ。我慢すべきだとも思うし、どこかで誰かがうまく解決してくれてもいいとも思う。社会のみんなで解決すべき問題だとも思うし、個人の心の持ちよう次第で解決できると思っている。
例えば以前、「子連れオッケー」をうたっているレストランというかカフェに家族で入ったことがあるが、とてもとても満足できるものではなかった記憶がある。「子連れでそこまで望むなよ」という意見はもっともだと思うが、それでも「どうすれば満足できるのか」を、多くの人が考えなければならないと思うのだ。
カフェ、レストラン、新幹線、飛行機、などなど。確かに子連れで入らざるを得ない場所は無数にある。子どもを連れてくる人がいることを覚悟して利用しなければならない場所は無数にある。そこでの我慢というのは、必ずどちらかがしなければならないものなのだろうか。お互いに共存できる道はないのか。子連れでスタバを堂々と利用できたらどんなに、子育て中の親としては気が楽だろう。スタバほどのクオリティのカフェは、なかなかないと思う。先ほども書いたが、意識高い系と言われようと何だろうと、居心地がいいものはいいのだ。そんな居心地のいいスペースで、子連れの親がゆっくりと過ごす方法はないのだろうか。当の本人も、周りの人たちも、子どもが騒いでも落ち着いていられるようなスペースとはどんなところをいうのだろう。
子連れオッケーをうたっているカフェ・レストランではダメなのだ。スタバでなければダメなのだ。スタバをうるさい子どもと一緒に入れるようにならなければ、この問題の完璧な解決とは言えないだろう。
解決方法として簡単に思いつくのが、子ども専用スペースもしくは子連れ専用スペースを作ることだ。だが、だが、大抵の場合「囲われる」というのは、囲われる側にとってみればいいことではあるまい。タバコがいい例ではないだろうか。タバコを吸っている愛煙家もしくはその類の人は全国に多くいると思うが、わざわざ小さいスペースの喫煙スペースに入っていく姿は格好いいとは言えまい。そんな、汚いものを扱うような仕方で自分の子どもを扱われるのに前向きな大人はいないだろう。それに、そんなスペースは大抵、すぐに汚くなりがちだ。子ども手先がうまく使えず、しかも言葉足らずなのでうまくコミュニケーションが取れず、飲食テーブルや椅子の周りを汚くしてしまいがちなのだ(だから、周りの人たちから子どもや子連れは嫌われるのだが)。
これを解決するには、そのようなマインドにするのが一番いいのだと思う。そうすれば、大規模な工事も不必要だ。気の持ちよう、考え方次第、なのだ。だから、国民一人一人が、寛容さ、自分とは違う種類の人間が周りにいることへの許容の広さ、そんなものを身につけねばならない。「結局はそこかよ」と言われそうだが、しょうがない。結局はそこなのだ。
子どもの泣き声や大声を聞いて心が乱されるのはどうしてなのか。「うるさい」と思ってしまうのだどうしてなのか。静かにする方法はないのか。そんなことをひたすら考えていって、解決策を見いだせればと思っている。
私は子どもが大好きだ。未来が広がっていて、純粋で、素直な目をしていて。まだまだ目の前に可能性が広がっている彼ら彼女らを見ていると、「自分の未来を託さなきゃ」と思う。ぞれなのに、イライラしてしまう自分が残念なのだ。この気持ちはどうしたらいいものか。
「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。
自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。
心よりお待ちしております。
[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]
30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。
モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。
下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。
[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]
プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]
電子書籍で本を出すことになりました。ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。タイトルは、「人に優しくなれる発想法」です。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。
警察官が、イライラの感情という素朴で身近な、ともすれば大きくなりがちな分野で語ることはないのではないでしょうか。というのも、警察官は感情をなくして機械的で形式的な仕事をする人間だし、そうであることが求められがちな職業だからです。この本では、元々警察官をやっていた人間が、その時の経験を元に、実は警察官に身近な感情であるイライラについて、そのイライラをなくす考え方を紹介します。
実は、警察官にとってイライラというのは、最も身近な感情です。というのは、警察官がイライラの矢面に立つ仕事だからです。
関連する投稿
- 日本語文章を書く際の注意点とは。AERAのムックで大御所連中が言っていたこと
- 親は教育ハラスメントに気づくべきだ。9年浪人するという妄信
- 岸辺露伴から教わったリアリティーの話。文章と言葉に説得力を持たせる方法
- 権威の否定。プロとして仕事をするよりもアマチュアの方が尊いという話し
- アドバイスでなくてユーモアを提供しよう
現在の記事: いつまでたっても解けない数学の難問と同じで、子どもの泣き声って解決しなければならない永遠のテーマ