警察官から職質されるのはどうしてか
「悪いことなんてしないないのに、どうして職質されるんですか?」
これは、警察官が聞かれる質問のベスト5に入る定番の質問である。職務質問とは、警察官が街歩く人に話しかけて、犯罪者を捕まえることである。その時に警察官がする質問を、職務質問と呼ぶのだ。
で、この職務質問の基準が曖昧だというのだ。職質される方からすれば、「どうして自分が職質されるのかわからない」と思うのだろう。この手の声が上がるのには理由があって、その理由がわからないでもない。
一つは、嘘をいっているのだ。本当は職質されるに足る理由があるのに、自分で嘘を言っているのだ。職質されるに足る自分の理由を、あるのは知っているのに、見ないふりをしているのだ。だから、「どうして職質されるのか分からない」という声が出てくるのだ。おそらく「職質される=悪い人として扱われる」ようなイメージを持っているのだろう。自分が犯罪者などの悪い人だと思われたくない。だから、「どうして職質されるのか分からない」などと、とぼけたことを言うのだ。
他の理由として、食い違いがある。これは、警察官と職質をされる人との間の違いである。何の違いかというと、職質の基準に対する食い違いである。というのも、警察官からも、見た目で犯罪者かどうかを判断するのは難しい。警察官にとっても、街を歩いていて、パトカーでパトロールをしていて、視力だけで犯罪者かどうかを判断するのは難しい。
だから職質とは、犯罪者にするものではないのだ。職質の対象者は正直なところ、犯罪者可動かは分からないのだ。分からない段階で職質をして、職質の過程で、犯罪者かどうかを見極めていくのだ。挙動不審にキョロキョロしたり、バッグの中を隠すような仕草をしたり、嘘をついたり、職質に答えずに黙っていたり。そんな態度を、職質の中で暴き出すのだ。
「何も悪いことをしていないのに職質された」というのであれば、それはそうなのだ。職質とは、そのようなものなのだ。この感想を言う人は間違っていないし、だからと言って、警察が間違っているのかと言うと、そう言うわけでもない。職質とはそういうものなのだ。
職質とは警察官にとって、数勝負のようなところがある。数打てば当たるのだ。犯罪者だとわかって職質に入る職質は稀である。犯罪者も、自分が犯罪者であることを明からさまに表に出したりはしない。巧妙、かどうかは分からないが、とりあえず一眼で分からないようには隠すのだ。
警察官にとって、職質した相手が本当に犯罪者かどうかは、あまり関係ない。結果論でしかない部分がある。職質した相手が犯罪者であれば儲けもの。犯罪者でなくとも、別に関係ないのだ。犯罪者でなくとも、警察官は別にそのことに対して「悪かった」と思うわけではない。確かに言葉の上では「悪い人でもないのに職質してしまってすいません」とでも言うかもしれないが、それは形状のこと。絶えず職質を繰り返すのが正しいのであって、職質した相手が犯罪者であるかどうかは、どうでもいいのだ。
こんなことをいうと、「職質された方はたまったものではない」と思うかもしれない。というか、私も警察官でなかったとしたら、何も悪いことをしていないのに職質でもされようものなら、頭にくるだろう。犯罪者でもないのに犯罪者のように扱われ、急いでいるのに時間をさかれ。それでは損をしているだけではないか。
だが、そこは思い直してほしい。社会で生きるとはそういうことなのだ。治安が守られた社会で生活するとは、いつどこで警察から話しかけられるか分からない、ということなのだ。警察がランダムに話しかけているということは、誰それ構わずに職質しているということは、それだけ警察の治安に対する意識が高い、ということだろう。
「職質する」ということは、「警察が活発に動いている」ということであり、それは治安が守られていたり、治安を守ろうとする意識の現れだったりするのだ。もしも警察の治安に対する意識が弱かったら、わざわざ職質なんて、しようとは思わないだろう。どうせ職質をすると、邪険に扱われることはわかっているのだ。イライラをぶつけられたり、怒りの矛先に立たなくてはならなくなったり、感情的な行動の矢面にならなくてはならなくなるのだ。そのまま見て見ぬふりをしてパトロールをすれば警察にとっても一番楽なのだが、そうはいくまい。わざわざ相手とトラブルになるようなことをするのが職質なのだ。警察官にとっても職質は、しなければそれに越したことはない。それなのに、わざわざパトロールをして、職質の相手を探して、パトカーから降りて職質をする、ということは、それだけ警察の意識が治安や市民に向かっている、ということである。不安になるどころが、安心してほしい。
警察から職質されるのは、悪いことをしているからではない。悪い人相に見えたからでもない。まあ、警察官それぞれに職質の基準はあるし、その時その時の状況で変わるものでもあるが、何でもない人に職質するのが、職質というものなのだ。警察にとって面倒な職質を、わざわざやっているのだ。「治安を守ろうとしているんだろうな」と思ってやってほしい。
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警察官が、イライラの感情という素朴で身近な、ともすれば大きくなりがちな分野で語ることはないのではないでしょうか。というのも、警察官は感情をなくして機械的で形式的な仕事をする人間だし、そうであることが求められがちな職業だからです。この本では、元々警察官をやっていた人間が、その時の経験を元に、実は警察官に身近な感情であるイライラについて、そのイライラをなくす考え方を紹介します。
実は、警察官にとってイライラというのは、最も身近な感情です。というのは、警察官がイライラの矢面に立つ仕事だからです。
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