警察官から職質されるのはどうしてか

2019.10.20 (日)

「悪いことなんてしないないのに、どうして職質されるんですか?」

 

 

これは、警察官が聞かれる質問のベスト5に入る定番の質問である。職務質問とは、警察官が街歩く人に話しかけて、犯罪者を捕まえることである。その時に警察官がする質問を、職務質問と呼ぶのだ。

 

 

で、この職務質問の基準が曖昧だというのだ。職質される方からすれば、「どうして自分が職質されるのかわからない」と思うのだろう。この手の声が上がるのには理由があって、その理由がわからないでもない。

 

 

一つは、嘘をいっているのだ。本当は職質されるに足る理由があるのに、自分で嘘を言っているのだ。職質されるに足る自分の理由を、あるのは知っているのに、見ないふりをしているのだ。だから、「どうして職質されるのか分からない」という声が出てくるのだ。おそらく「職質される=悪い人として扱われる」ようなイメージを持っているのだろう。自分が犯罪者などの悪い人だと思われたくない。だから、「どうして職質されるのか分からない」などと、とぼけたことを言うのだ。

 

 

他の理由として、食い違いがある。これは、警察官と職質をされる人との間の違いである。何の違いかというと、職質の基準に対する食い違いである。というのも、警察官からも、見た目で犯罪者かどうかを判断するのは難しい。警察官にとっても、街を歩いていて、パトカーでパトロールをしていて、視力だけで犯罪者かどうかを判断するのは難しい。

 

 

だから職質とは、犯罪者にするものではないのだ。職質の対象者は正直なところ、犯罪者可動かは分からないのだ。分からない段階で職質をして、職質の過程で、犯罪者かどうかを見極めていくのだ。挙動不審にキョロキョロしたり、バッグの中を隠すような仕草をしたり、嘘をついたり、職質に答えずに黙っていたり。そんな態度を、職質の中で暴き出すのだ。

 

 

「何も悪いことをしていないのに職質された」というのであれば、それはそうなのだ。職質とは、そのようなものなのだ。この感想を言う人は間違っていないし、だからと言って、警察が間違っているのかと言うと、そう言うわけでもない。職質とはそういうものなのだ。

 

 

 

職質とは警察官にとって、数勝負のようなところがある。数打てば当たるのだ。犯罪者だとわかって職質に入る職質は稀である。犯罪者も、自分が犯罪者であることを明からさまに表に出したりはしない。巧妙、かどうかは分からないが、とりあえず一眼で分からないようには隠すのだ。

 

 

警察官にとって、職質した相手が本当に犯罪者かどうかは、あまり関係ない。結果論でしかない部分がある。職質した相手が犯罪者であれば儲けもの。犯罪者でなくとも、別に関係ないのだ。犯罪者でなくとも、警察官は別にそのことに対して「悪かった」と思うわけではない。確かに言葉の上では「悪い人でもないのに職質してしまってすいません」とでも言うかもしれないが、それは形状のこと。絶えず職質を繰り返すのが正しいのであって、職質した相手が犯罪者であるかどうかは、どうでもいいのだ。

 

こんなことをいうと、「職質された方はたまったものではない」と思うかもしれない。というか、私も警察官でなかったとしたら、何も悪いことをしていないのに職質でもされようものなら、頭にくるだろう。犯罪者でもないのに犯罪者のように扱われ、急いでいるのに時間をさかれ。それでは損をしているだけではないか。

 

 

だが、そこは思い直してほしい。社会で生きるとはそういうことなのだ。治安が守られた社会で生活するとは、いつどこで警察から話しかけられるか分からない、ということなのだ。警察がランダムに話しかけているということは、誰それ構わずに職質しているということは、それだけ警察の治安に対する意識が高い、ということだろう。

 

 

「職質する」ということは、「警察が活発に動いている」ということであり、それは治安が守られていたり、治安を守ろうとする意識の現れだったりするのだ。もしも警察の治安に対する意識が弱かったら、わざわざ職質なんて、しようとは思わないだろう。どうせ職質をすると、邪険に扱われることはわかっているのだ。イライラをぶつけられたり、怒りの矛先に立たなくてはならなくなったり、感情的な行動の矢面にならなくてはならなくなるのだ。そのまま見て見ぬふりをしてパトロールをすれば警察にとっても一番楽なのだが、そうはいくまい。わざわざ相手とトラブルになるようなことをするのが職質なのだ。警察官にとっても職質は、しなければそれに越したことはない。それなのに、わざわざパトロールをして、職質の相手を探して、パトカーから降りて職質をする、ということは、それだけ警察の意識が治安や市民に向かっている、ということである。不安になるどころが、安心してほしい。

 

 

警察から職質されるのは、悪いことをしているからではない。悪い人相に見えたからでもない。まあ、警察官それぞれに職質の基準はあるし、その時その時の状況で変わるものでもあるが、何でもない人に職質するのが、職質というものなのだ。警察にとって面倒な職質を、わざわざやっているのだ。「治安を守ろうとしているんだろうな」と思ってやってほしい。

 


 

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