「それって人それぞれだよね」は本当か〜寝ながら学べる構造主義
決して「寝ながら学べる」ような簡単な文章ではない。スラスラとなんの抵抗もなく読めて、読んでいる瞬間から内容が理解できるようなハードルの低い読み物ではない。「『寝ながら』って言っているのに詐欺じゃねーか」とか「やっぱり哲学なんてハードルが高いんだよんな」とか「哲学の本ってどれも『簡単』とか『入門』って言っておきながら難しいんだよね」と思ってしまう。そんな小難しい哲学入門の本と、なんら変わりはない。
「寝ながら学べる」と書いてあるのに本を開いて、あるいは買ってしまって「なんだよ」とがっかりしないでほしい。一箇所だけ、面白いところがあったのだ。「アメリカ人の眼、アフガン人の眼」という箇所である。
我々はよく、「それって人それぞれだよね」なんていう言い方をしていないだろうか。
例えば友人たち数人とレストランに行くことになったとする。何人かで「ここがいい」「こっちがいい」と、どこのレストランに行くのか決める際、完全に意見が一致することはないだろう。おそらく、必ず誰かが妥協をしているのだ。「自分はAというレストランに行きたかったのに、皆がBというレストランに行きたがっている。まあ、行きたい場所は人それぞれ違うし、しょうがないか」とあきらめていないだろうか。おそらく妥協する人には、「『どこのレストランに行きたいか』なんていう価値判断は、人それぞれ違うものだ」という考えがあるのだろう。
たとえば警察官であれば、ケンカの現場やトラブルになっている人たちを落ち着かせるために、「人それぞれだから」という言い方をよくするのだ。よく小売店やレストランで、接客している店員に文句を言うお客さんを見つける。どうなのだろう、なんとなくそんな人は、年配の人が多いのだが……。要は、「接客の態度がなっていない」というのだ。「上から目線だ」とか「横柄だ」とか。そんなところである。で、他の店員から110番通報があって、警察官が呼ばれて対処する、という流れだ。
トラブルの当事者を落ち着かせるために、「人それぞれだから」というのはかなり有効な文句である。「接客の態度がなっていなくても、困るのはお店の方だから。あなたには関係のないことだから」とか「あなたはそう思うのかもしれないけれど、そう思わない人もいる。人それぞれだからね」とか。
「人それぞれ価値判断は異なる」という考えは、実は構造主義の影響なのだ。「人それぞれ価値判断は異なる」ということに対して、それっていうのは人類の普遍的な考えのように我々は考えている。人類が生まれたときからある、守らなければならないもので、これから先も守っていかなかればならない、考え方の基本。そんな感じで「人それぞれ価値判断は異なる」というものを見ていないだろうか。
とんでもない。ここ考えは、戦後にヨーロッパで生まれて日本でも広がった、比較的新しい考えなのだ。この考えは、ブラジルの未開の地(と言われている)に住んでいる部族を調べているレヴィ・ストロースが至った考えだ。それまでヨーロッパの知識人たちは、ヨーロッパこそが歴史の最先端を行っていると思っていた。世の中には社会がたくさん存在するが、どれもヨーロッパの後ろを走っていて、いずれは彼らもヨーロッパのように文明を持つに至るだろう。ヨーロッパは最先端を走り続け、そんな未開人たちを引っ張っていかねばならない。そんなふうに思っていたところだろう。
けれど、レヴィ・ストロースは考えたのだ。「いやいや、未開人たちの社会も一見遅れているように見えるが、実はとても合理的な社会だ。ヨーロッパよりも進んでいると思われるところもある。おそらく未開人たちは、ヨーロッパのようになりたいとは思っていないだろう。『いずれ、この人たちもヨーロッパのように文明を持つに至る』と考えるのは、ヨーロッパ人のおごりなのではないか」と。
歴史というのは一本の矢のようなもので、過去から未来にむかって流れていくものだと思われていた。現在というのは、その途中である。先にある未来は、どの社会においても同じだろうと思っていたのだ。けれど、実はそんなのは「それぞれ」なんじゃないかと考えたのである。
我々は今では、「人それぞれだよね」というのは当たり前のように受け入れている。というか、考えが、「価値観はひとそれぞれである」ことを前提にして成り立っているのである。レストランに行くにしろ、本を選ぶにしろ、誰かとSNSでコミュニケートするにしろ、「価値観が人それぞれ」であることは前提である。
だが、そんな「人それぞれだよね」という価値観すらが、哲学とか人類という長い歴史の中で見た場合、ごくごく最近のことなのである。だから、人に対して強く言ってしまう、自分の価値観をおしつけてしまうのが、年配の人が多いように見受けられるのは、構造主義が考えの根底にないからなのかもしれない。
自分が持つ、「価値観は人それぞれ」という価値観は、実は、構造主義というトレンドの中のものでしかないのだ。
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