子どもを可愛がっていてはダメなことは、中国史からも学べる〜史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち

2019.10.17 (木)

 

 

中国の歴史を見ていると、ずっと世襲というのをやって失敗しているようだ。世襲とはつまり、自分の子どもを王様にするということ。自分の子どもを王様にして、自分の子どもに苦労することなく甘い汁を吸わせる、ということをしているのだ。これは紀元前から、記録が残っている限り昔からやっていることらしい。

 

 

イン、ぎょう、うん、この時代は、世襲はせずに、実力主義だったらしい。たとえ自分に子どもがいようとも、何人もいる部下の中から有能なものを指定して、その人に自分の仕事を引き継いでもらうのである。イン、行、うんは、世襲をせずに川を治水しようとしたからこそ、三世代の果てにようやく治水に成功したらしい。けれどその後が良くない。周の時代に、世襲が始まってしまったのだ。

 

 

おそらく世襲という考えは、周の時代よりも前からあっただろう。当然である。誰でも自分の子どもに財産は引き継ぎたいと思うだろう。けれど、そんなことをしていたらどうなるかが分かっていたから、世襲をやらなかったのである。自分の子どもに財産を引き継ぐということ、世襲ということ、自分の子どもが可愛いと思うこと。全てあったのだ。全てあったにも関わらず、それをやらなかったのだ。何世代もそんなことをしていたら、確率的にいずれどうしようもない王様が即位することが予想できたからである。

 

 

結局、世襲が悪いことだってのはわかっていたにも関わらず、いつの時代の王も皇帝も、世襲をやって失敗してきているのだ。「国は、能力があるものが治めるのがいい」にも関わらず、「自分の子どもに国を治めさせる」ことをやっていては、「自分の子どもは能力があるかどうかは分からない」のだから、能力がある者が国を治めるかどうかは、ジャンケンになってしまう。勝つのか負けるのか分からない。うまく治められるかどうか分からないのだ。それが世襲である。

 

 

これというのは、「自分の子どもの入れ込んでいてはダメだよ」という教訓のように思える。今の時代でも、親にとって子どもというのは聖域である。どんなに苦労はしていても、子どもの食料だけは確保したいと思うのが親である。子どもの教育費は削りたくないし、子どもの習い事は行かせてあげたい。本だって子どもには買ってやりたいし。頭では「子に苦労はさせるもの」とか「苦労をさせるから子どもが育つ」ことは分かっていても、実際にはなかなかさせられるものではない。

 

 

どんなに「自分は子どもに苦労をさせている」と豪語していたって、回り回って親は子どもに甘いものである。本気で子どもに対して惨めな思いをさせたり、嫌な思いをさせたり、そんなことをできる親はいないのである。まあ、いたとして、それはそれで困ったものであるが。

 

 

だから、親は子どもから離れるべきだと思うのだ。おそらく中立が一番いいのだろう。付かず離れず。具体と抽象、両方が必要であるように。行動と思考、両方が必要であるように。絶妙な距離感が求められるはずなのだ。けれど、親は子どもよりの引力が働く。中立だと思っていても、後から見ると、遠くから見ると、離れて見ると、子どもよりの行動をしていることがほとんどであろう。だから、意識的には、気分的には、認識的には、離れる方を選択した方がいいのではないか。

 

 

どうしても内角に投げてしまう癖のあるピッチャーは、外角よりを意識して投げると、ど真ん中に投げられるものであろう。ど真ん中に投げようとすると内角に決まるのだ。だとすれば意識を外角に向けるのがいい。子どもとの距離もそんな感じで、親というのは子どもよりになってしまうものなのだ。だから、外角を意識するように、子どもから離れて生活なり、仕事なり、人生設計なりをするべきなのだ。

 

 

子どもを可愛がりすぎて失敗した例は、中国の歴史をはじめ、いたるところにある。世襲という制度が古今東西どこにでもあるように、古今東西どこの親でも自分の子どもが可愛いのだろう。赤の他人よりも、自分の身内が可愛いのだ。そのことに対しては何も言わない。それが当然のことなのだと思う。自分の子どもが可愛いのだ当たり前だ。それが親なのだから。だから、そのことをことさらに隠そうとせず、見て見ぬ振りをするのではなく、可愛いのに「可愛くない」と虚勢をはるのでもなく、認めればいいのだ。「可愛いい」と。そうすれば、世襲をすることにも客観的な判断ができるはずだ。自分が世襲をしようとしていることにも気づくのではないか。子どもに対して甘い汁を吸わせようとしている自分を、客観的に認識できるのではないか。

 

 

子どもに対して必要以上にお金をかけたり、予算以上に投資したり、余裕がなくなるほどに時間を割いたり。どうしてもしてしまうものなのだ。自分や子どもや、自分と子どもとの関係を、一歩引いたところから眺められるようになるには、近づきすぎてはいけない。近づいてしまうと、具体的に分かりやすくなってしまうため、より大きな引力が働いてしまう。離れるのだ。距離を置くのだ。一歩引くのだ。

 


 

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